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(Q) 名古屋名物「うどんころ」の由来は?

夏の風物”うどんころ”、全国区では冷やしうどんといいますが、この”ころ”って言い方、どういう由来で、一体誰が名付けたんでしょうか?

(A) 「ひと塊のうどん」に由来します。

「うどんころ」の語源については色々な説がありますが、一番もっともらしいのは次のような説です。 「ころ」とは塊上のものを数える時に使う言葉で、例えば日本書紀・推古紀に、「黄金三百両」と書いて「くがねみももころ」と読むくだりがあります。 また小さな丸い石を「石ころ」と呼んだり、子犬を「犬ころ」と呼んだりするのもこの語法ですし、餡に包まれた丸い餅を「あんころ餅」と呼ぶのもこれに由来します。 うどんは「1玉(ひとたま)、2玉(ふたたま)」と数えるのが普通ですが、これを「ひところ、ふたころ」と数えることもあったらしいのです。 そこで塊上のひところのうどんに冷たい出し汁をかけただけのものを、「うどんころ」と呼んだことが始まりだという説です。

厳密に言うと「うどんころ」は「冷やしうどん」とは別物らしいのですが、現在ではほとんど同じ意味に用いられていて、中部地方と関東地方の一部だけで使われる言葉らしいということです。 うどんころに相当するうどんは色々な地方にあり、多くの場所で独立に発明されたものと思われますが、「うどんころ」という名前を付けて売り出したのは、現在も営業している名古屋のうどん屋(店の名前は失念しました。(^^)ゞ)だということです。

ちなみに、東三河地方には「にかけ」という独特のうどんがあります。 「かけ」または「かけそば」は、そばに熱い出し汁をかけただけの「ぶっかけそば」に由来し、主に中部地方以東で使われる言葉です。 蕎麦は寒い地方でできる植物ですから、関東の麺類はそばが中心で、関西では「素(す)うどん」がこれに対応します。 「にかけ」は「かけうどん」に色々な具を乗せたもので、「かけ」に「荷(に)」が乗っているので「にかけ」となったそうです。 面白いことに東三河地方はうどん屋が多く、「にかけ」と言えば、そばではなくてうどんになり、そばのにかけは「そばにか」と呼ばれます。 関東地方で「かけ」と言えば、普通は「かけそば」のことですから、「にかけそば」と呼んでもいいような気がしますが、語呂の関係なんでしょうね。


(Q) なぜベルトは男と女で反対に巻くの?

先日、夜のニュース番組で取り上げられていたんですけど、”なぜベルトは皆同じ向き(自分から見てバックルが左になるように)に巻くのか?”ということと、”その習慣とは逆向きに巻くと体に良い”といったことを言ってました。 何故皆同じ向きに巻くかという理由は、”右利きが多い”→”その多数の右利き用に合わせて、そっち向き用のデザインのバックルが多く造られた”→”結果、左利きもそれに従うようになった”ってな感じでしたが、よく考えると、女の人は男とは逆の方向に巻いてますよね。 本当のところはどうなんでしょうか?

(A) 利き手と服の歴史が関係しています。

ベルトでもネクタイでもスカーフでも、たいていのものは利き手と反対の左手で物(バックルやネクタイのより短い方)を固定し、利き手である右手で物(ベルトやネクタイのより長い方)を動かすようになっています。 実際にやってみるとわかりますが、その方が巻きやすいのです。 ですから左利きの人は、当然、右利きの人とは反対の巻き方をするのが自然ですが、バックルなどが上下対称ではない絵柄の場合は、どうしても多数派である右利き用に作られていますし、みんなが右利き用の巻き方をしているので、ついつい多数派に合わせてしまうことになります。

洋服の前の合わせも利き手と関係があります。 つまりボタンを扱う時、左手でボタン穴を固定し、右手でボタンを動かした方が扱いやすいので、ボタンが右側に付いた右前になっているわけです。

では女性の洋服はなぜ男性と反対の左前になっているかと言うと、それには次のような由来があるのです。 洋服の基本的なデザインが決まった中世では、貴族の女性くらいしか高級な服は着ていませんでした。 彼女達は高貴な身分でしたから、自分で服を着るようなことはせず、メイドに服を着せてもらっていました。 そのため、向かい合ったメイドが着せやすいように女性の服は男性の服とは反対の構造、つまり服は左前でベルトは反対巻きに作られていました。 この名残で女性が自分で服を着るようになった現在でも、女性の洋服は男性と反対の構造になっているというわけです。

それに対して昔から男も女も自分で服を着た日本では、昔も今も和服は男女とも同じように右前に着ます。 和服が右前である理由もやはり利き手と関係していて、利き手である右手を使って物を懐に出し入れしやすいからと考えられています。 ただし埴輪などを見ますと、太古の昔は着物を左前に着ていたようで、これは弓を射る時に邪魔にならないようにしていたのではないかと思われます。 その後、中国の影響などもあって、奈良時代あたりから次第に右前に着るようになったようです。

ちなみに「右前」という言葉は誤解を招きやすい言葉でして、(自分から見て)着物の左側が前に来るにもかかわらず「右前」と言いますが、これは左の衽(おくみ)が右の前に来る、つまり合わせの部分が右の前に来ることに由来します。 死んだ人に着せる死装束は、普段とは違うということを表すために左前に着せます。 このことから、商売などが上手くいかなくなることを「左前になる」と言いますね。

それから「ベルトを習慣とは逆向きに巻くと体に良い」というのは、単なる迷信です。(^^;)


(Q) おみくじのルーツは?

私、今、おみくじについて調べなきゃいけないんですけど、おみくじのルーツとか、今の形になったのはいつ頃か、などについて教えてください。

(A) 江戸時代ぐらいにできたらしいです。

おみくじは元々八百万(やおよろず)の事柄を神社で占ってもらい、御神託をもらっていたのを、神社の手間を省くと同時に、誰でもが手軽に占えるようにしたもので、富くじが発明された江戸時代あたりにルーツがあるらしいです。

現在のような自動販売機型のおみくじになったのは1905年(明治38年)のことで、山口県にある鹿野神社の先々代の宮司、宮本氏の考案になるものでした。 当時、宮本氏は女性の信仰普及のための全国組織である敬神婦人会を主催し、「女子道」という機関誌を発行していたのですが、活動資金不足を補うことと信仰普及の目的で、おみくじの自動販売機を発明したのです。 そして驚くべきことに、何とこれが日本最初の自動販売機だったのです。 このおみくじ自動販売機を普及させるために、宮本氏は「女子道社」という有限会社を作り、全国の神社に販売します。 このため現在でも、全国の神社に置いてある赤いおみくじ自動販売機は、全てこの女子道社製です。

ちなみに、世界最古の自動販売機は古代エジプトで作られた「聖水自動販売機」です。 その復元模型を見たことがありますが、コインを入れると一定量の聖水が出てくる、れっきとした自動販売機でした。 洋の東西を問わず、神様というものは実に進歩的かつ合理的です。


(Q) はるさめは何から作るの?

先日、鍋物をした時、シラタキの代わりにはるさめを入れたんですが、その時、「はるさめってシラタキでもないしクズキリでもないけど、一体何からできてるんだろう?」という話が出ました。 はるさめは、一体何から作るんでしょうか?

(A) 緑豆という豆のデンプンから作ります。

春雨は、小豆の一種である「緑豆(リョクトウ)」という豆のデンプンから作ります。 緑豆は豆モヤシ(根に豆が付いたままのモヤシ)の原料としても利用されている豆で、このデンプンは粘性が強いので、あのように細くしてもコシがあって煮くずれしないのです。 もっとも緑豆は高いので、中にはジャガイモやサツマイモのデンプンから作ったものもあります。

シラタキ(白滝)は糸コンニャクの細くて白っぽいものの別称で、コンニャクイモのマンナン(マンノースを主成分とする多糖類)から作り、クズキリは葛の根から取れるデンプンから作ります。 ちなみに「春雨」という名前の由来と、「白滝」という名前の由来は、その形状から容易に想像がつくように、「春の細かい雨」と「真っ白に見える滝」に由来します。