玄関雑学の部屋雑学コーナー日本語の起源

○韓国語と日本語−3

 
中国語イーアルサンシィウーリゥチーパーチゥシー
iersansiuliuchipatiushi
韓国語イルイーサムサーオーユクチルパルシプ
ilisamsaoyukchilpalkuship
日本語イチサンロクシチハチキュウジュウ
ichinisanshigolokushichihachikyuju

韓国語の発音と日本語の発音が古代では非常によく似ていて、それが時代とともに次第に音韻変化していった様子は、色々な言葉から確かめることができます。 例えば中国語から取り入れた漢数字の読み方を両方の言語で比べますと、その音韻変化の様子から、これらの言葉が古代中国語から古代朝鮮語を経て古代日本語に取り入れられたということを、何となく実感することができます。

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韓国語ハナツールセートネートタソトヨソトイルゴプヨドルアホプヨール
hanatulsetnettasotyosotilgopyodolahopyol
日本語ヒィフゥミィヨゥイッムゥナナヤァココトォ
hifumiyoitumunanayakokoto

また韓国と日本には、漢数字以外にそれぞれ独自の数え方もあります。 韓国語の「ハナ」は「ハナから(最初から)」という日本語の語源であるという説があり、これは大いに有り得ることだと思います。 外国語の単語の中で、数の数え方は最初に覚える言葉の1つだからです。

例えばこれと似た言葉に「ピンからキリまで」という言葉があります。 これは、ポルトガル語でカルタの1を表す「pinta」が「ピン」となり、十字架つまり10を表す「cruz」が「キリ」となったものです。

また日本独自の数え方も、実は独自ではなく、古代の高句麗の方言が元になっているという説もあります。 古代の高句麗では3は「ミ(mi)」、7は「ナナ(nana)」、10は「ト(to)」と発音したのです。 3才くらいまでの赤ちゃんのことを、日本語で「嬰児(ミドリゴ)」といいます。 これは、古代でははっきりと3才までの子供のことでした。 古代韓国語で周年のことを「ドル」と言い、子供が3才になったことを高句麗弁で「ミドル」と言いました。 これが嬰児の語源と思われるのです。

「三つ児の魂百まで」という言葉があり、七五三を祝うことからもわかりますように、古代の人は3才が大きな区切りだと考えたのでしょう。 古代は数えで年を数えたはずですから、3才児といえば満2才になるかならないかぐらいの頃です。 この頃はちょうど乳離れする時期に相当し、脳細胞が発達して人格が出来始める時期ですから、確かに赤ちゃんから子供に成長する区切りの時期です。

ちなみに「赤ちゃん」の語源は、一般に言われている「生まれたばかりの子供の体が赤っぽいことに由来する」のではなく、韓国語の「アガ(赤ちゃん)」からきているという説の方が納得できます。 生まれたばかりの赤ん坊は新生児黄疸症状が出やすいですから、泣き叫んでいる時は赤ら顔になりますが、静かにしている時はむしろ黄色っぽいのです。

赤ちゃんに関する言葉には、古代朝鮮語が語源と思える言葉が沢山あります。 例えば乳房を意味する幼児語「おっぱい」の「パイ」は、古代朝鮮語で「吸うもの」という意味です。 赤ちゃんにとって母親の乳房は”吸うもの”ですから、「おっぱい」とか「パイパイ」とか呼んだというのは確かに納得できます。 また「乳」も韓国語の「チョッ(乳)」が語源だと思われますし、「おんぶ」は韓国語の「オブバ(おんぶ)」が語源だと思われます。 それから母親が赤ちゃんを叱る時の言葉に、「メッ!」または「メンメッ!」というものがあります。 この「メ」は韓国語で「鞭(ムチ)」のことであり、「メンメ」はその幼児語なのです。 韓国の母親は、子供を叱る時に昔から「メンメでぶつよ!」と脅したそうです。 その言葉が日本にもそっくりそのまま残っているわけです。

その他にも韓国語で高いという意味の「ノップン」が「ノッポ」になったり、口の意味の「イプ」が「いぷ→いふ→言う」になり、耳の意味の「キ」が「聞く」になり、鼻の意味の「コ」が「嗅ぐ」になったりと、韓国語が語源と思われる言葉は非常に沢山あります。 また今まで解読不能だった万葉集の歌が古代朝鮮語で簡単に読めたり、意味のない言葉だと言われていた枕詞が、古代朝鮮語で読むと重要な意味を持っていたり、古代の土地や神の名前が古代朝鮮語に由来していたりと、様々な分野で古代朝鮮語との深い関係が解明されてきています。

日本の言語学者による従来の日本語と韓国語の比較研究では、両言語で同一起源と思われる単語は200程度しかなく、音韻の類似性も少ないため、両言語が同系の言語であることを裏付ける証拠は充分ではないとされていました。 しかしこれらの研究を行った学者の多くは、古い皇国史観にとらわれていたり、アジア蔑視の偏見を持っていたりして、韓国語や古代朝鮮語、さらにはアジア全域の言語に関する認識が不足しているように感じられます。 そのため、アジア全体を視野に入れてその中で幅広く日本語と韓国語の関係を研究するのではなく、2つの言語を単純に比較して、同じ意味で同じ系統の発音の単語だけを取り上げているきらいがあるように思います。

現代の外来語を考えても、「サボる(sabotageの略)」のようにほとんど日本語化しているものや、「トランプ(trump、本来は切り札のこと。原語ではcard)」のように、原語とは意味がズレてしまっているものがありますし、「ナイター」のような和製英語も沢山あります。 遠い将来になってこれらの言葉の語源を研究しようとしたら、この時代における日本と欧米の歴史的関係と、日本語と欧米語に関する幅広く深い知識を総動員しなければ、正確に解明することは不可能でしょう。

しかし韓国語と日本語を比較している言語学者はまだマシな方で、日本の多くの国学者は、韓国語も古代朝鮮語も研究しようとせず、あくまでも日本語の中だけで語源を探し、無理なこじつけをしているのです。 また、日本の考古学者の間にも同じような傾向が見られます。 例えば飛鳥にある有名な謎の遺物「二面石」や「亀石」と同じような石像が、韓国の済州島では大昔から現代まで魔除けとして使われていたり、藤ノ木古墳から出土した馬具や王冠とほとんど同じ物が、随分以前に新羅の王の古墳から出土していたりするのにもかかわらず、それらの起源を日本国内だけに求めようとして謎の遺物扱いしたりしているのです。

古代の日本文化が中国から直接的に受けた影響よりも、朝鮮半島を経由して間接的に受けた影響の方が多いだろうことは、地理的に見ても歴史的に見ても至極当然と思われます。 しかし古代における朝鮮半島と日本との深い関係を認めながら、古代中国が日本の文化に与えた影響は認めても、古代朝鮮が日本の文化に与えた強い影響は頑なに認めようとしない日本の研究者の態度は、僕には全くもって不可解です。 馬鹿げた偏見やわだかまりを捨て、日本の研究者と韓国の研究者が協力し合えば、韓国語と日本語の関係だけでなく韓国文化と日本文化の関係も必ずや解明されることと思います。 そう遠くない将来に、そのような共同研究が行われることを願ってやみません。