玄関小説とエッセイの部屋小説コーナー不思議の国のマトモな事件

シーン5

フィルムがまた早回しとなり、お竜の代わりに友規がサイコロを振って実験が何度も繰り返される。 黒板の図にプロットが増えていく。 それは霧箱法のプロットとよく似ていて、2つの窓から真っ直ぐに進んだ部分のプロットが最も多く、そこから離れるほど次第に少なくなっている。 前の実験のようなはっきりした縞模様はない。

観測されている時のプロット

伴人  「……どうもご苦労様でした。 ご覧のとおり、今回の結果では干渉縞は現れておらず、霧箱法の時とよく似た結果になっていますね。 つまり被告が1つの窓しか通らない状態では、干渉縞は決して現れないわけです。 これらの結果から、2つの窓が開いていて、しかも観測されていない時には、被告は2つの窓を同時に通ったとしか考えられないことがおわかりになるでしょう」

伴人、難しい顔で図を睨んでいる友規に視線を移し、

伴人  「いかがですか、検察官殿?」

友規  「……ウーム、これはどうも……、いや、これは全く驚きですな! いやはや何ともまいりました、これは。 弁護人の言われるとおり、被告が同時に2つの窓を通ったとしか考えられません」

友規、ようやく図から視線を離し、伴人の方を見て、

友規  「しかし、一体全体どういうことなのですか、これは? 被告は1つの個体ではないのですか?」

伴人  「被告は、我々が普通に言う意味での個体では決してありません。 被告は、いわば時空中に貯えられたエネルギーのようなもので、しかもそのエネルギーが飛び飛びの値しか取れない性質のものなのです。 そして被告が物として我々に認識されるのは、他の物と相互作用をする時だけで、その時にエネルギーを不連続にやり取りするものですから、それがちょうど1つの個体のように見えてしまうわけです」

友規  「それでは被告はエネルギーの塊なのですか? エネルギーが粒になって動いているわけですか?」

伴人  「いいえ、そういうものでもないのです。 そうですねぇ……」

と、伴人、しばらく考えて、

伴人  「そう、例えばよくビルの上などにある、電光ニュースのようなものを考えてみてください。 電光ニュースは大きな板の上にたくさんの電球を並べ、それを規則的に点滅させることによって文字や絵を動かす装置ですが、この装置で1つの点を動かすことを考えてみましょう」

伴人、黒板に図を描きながら説明する。

電光掲示板

伴人  「この時、実際にはある1つの電球が点き、それが消えるとすぐに隣の電球が点く……という具合になっているのですが、遠目には、まるで1つの点が動いているように見えますね。 被告はちょうどこれと同じようなもので、時空中のある1点におけるエネルギーが不連続に変化し、その変化が伝わって行って、他のものと相互作用することにより、まるで1つの個体が運動しているように見えるのです。 だから、そもそも被告は1つの個体が運動しているのではありませんから、個体とか運動の経路とかいう概念そのものを、あてはめて考えることができないのですよ」

友規  「それじゃあ、観測されていない時の被告が一体どんなものかということは、我々にはわからないのですか!?」

伴人  「そのとおり、永久にわからないんです。 しかも、観測という行為によって被告の状態が変わってしまいますから、我々にわかることは、時空がある状態にある時、ある瞬間に、ある場所で、被告が1つの個体として観測される確率がどれくらいあるか、つまり、ある瞬間にある場所に置いた観測機器と相互作用する確率が、どれくらいあるかということだけなんです」

伴人、噛んで含めるような口調で説明を続ける。

伴人  「例えば前の実験のように、観測されてなくて窓が2つとも開いているという状態では、それぞれの窓の時空状態が干渉しあって、書斎の壁際で被告を観測する確率がちょうど縞のようになるんです。 ところが今の実験のように、観測されてなくて窓が一方しか開いていないという状態では、時空の干渉は起こりませんので縞模様はできないというわけです」

友規、腕を組んでゆっくりとうなずきながら、

友規  「う〜ん、なるほど、何となくわかったような気はしますが、実体がつかめないというのは、何とも割り切れなくて歯がゆい感じですなあ……」

伴人  「おっしゃるとおりです。 でも、しょせん我々は、観測という行為でしか事件を調べることができないんですから、観測という行為自体が事件の内容に影響を与えてしまう時には、『もし観測されなかったとしたら、どんな事件として観測されるか?』なんてことを推測するのは、 無駄というものでしょう」

友規  「確かに。『げに測り難きは、女心と秋の空』ですな」

友規、急にくだけた口調になると、

友規  「伴ちゃんも気をつけたほーがいいよ、ミミちゃん、気まぐれだから……」

ミミ  「急に、地に戻るなっつーの!」

と、友規をぶったたく。

眠りネズミ、木槌を取り上げて大きな音で頭をたたき、

眠りネズミ「アー、ほんじゃ判決を申し渡すさかい、みな、よー聞きや」

ミミ  「(あきれかえって)ほんっと、このネズちゃん、どこの生まれなのよォ!?」

眠りネズミ「ウー、被告、波野光子はんは、波でもなく粒でもなく、どっちゃの性質も持ってはる、優秀なおなごはんなんや。 そやさかい、判決は——……」

全員  「判決は——?」

と、固唾を飲んで眠りネズミを見つめる。

眠りネズミ「アー、判決はー、(突然、大声で)みなでダンスをしよやないけ!!」

突然、軽快なダンス音楽が流れだし、屋敷がダンスホールに変わる。 みんなの衣装もダンスパーティー風となり、陽気なダンスが始まる。 手を取り合って、楽しげに踊りまくる人々——せかせかした白ウサギと眠ったままの眠りウサギ、空中でピーター・パンとティンカー・ベル、帽子屋と三月ウサギ、ゴジラとモスラ、マクベスとお竜。 女の子を追い回す諸星アタルと、怒ってそれを追うラム、ちゃっかりお菓子や飲物を売り歩いているネズミ男と、それを笑いながら見守る鬼太郎、やたらと食べ物を口に詰め込んでいるH・M卿と友規、静かに飲物を配っているヘンリー、ひとりでポーズをとっているケンシロウ。 談笑するコロンボ警部、フレンチ警部、十津川警部、七人の刑事、七人の侍、トランプの衛兵達——どの顔も明るい。

ホールの隅に、みんなから少し離れて伴人とミミが立っている。

ミミ  「……何がなんだかよくわかんないけど、とにかくありがと伴ちゃん。 みんな伴ちゃんのおかげよ」

伴人  「と、とんでもない! ミミちゃんがチャーミングで、色っぽくて、香りもあって、ストレンジネスだからうまくいったんだよ」

ミミ  「……チャーミングで色っぽいつーのはわかるけど、何、その『香りもあって、ストレンジネスだ』つーのは……?」

伴人  「ん? ……あ、ああ、いやいや、ちょ、ちょっと、ミミちゃんのお兄さんのクォークさんと間違えちゃって……。 最近では、ヒモみたいなもんだって、変なうわさも聞くし……」

ミミ  「(怪訝な表情で)……?」

伴人  「と、とにかくね、そんなことはどうでもいいけど、ぼ、僕ね、裁判に勝ったらね、思い切って、ミミちゃんに言おうと思ってたんだけど……」

ミミ  「何を?」

伴人  「(小声で)……あ、あのね、ぼ、僕ね、実はね、ミミちゃんにね、プ、プ、プロ、プロポーズしようと思って……」

ミミ  「え!? ……い、今、何て言ったの……?」

伴人  「き、聞こえなかったの、ミミちゃん……?」

ミミ  「おっきな声で、もーいっぺん言ってみて……」

伴人  「(大きな声で)そろそろ、冷奴のうまくなる季節だねって言っ……」

ミミ  「そんなこたァー、言っとらんだろーがッ!!」

と、伴人をぶっとばす。 そこへ、冷奴を手にして友規がひょいっと現れる。

友規  「伴ちゃん、伴ちゃん、これ忘れてるよ、これ! ミミちゃんくどくにゃ、食いもんが一番!」

ミミ  「あたしはオジンギャルではないーッ!!」

と、友規の顔に冷奴をぶつける。 それをきっかけにして、みんなが冷奴を人にぶつけ始め、大混乱となる。 そして、ミミと伴人は離れ離れになっていく。

ミミ  「……あ…あっ…あーっ! ば、伴ちゃん、伴ちゃーん!!」

急にホールが鉄道の駅に変わり、みんなは群集に、ミミは小さな少女に変わる。 ミミ、心細げに周囲を見回し、

ミミ  「(泣き声で)……ミッシェル…ミッシェル? ミッシェル!?」

ミミ、泣き叫びながら、群集をかき分けて走り出す。

ミミ  「ミッシェル! ミッシェール! ミッシェールーッ!!」

ナルシソ・イエペスがギターで奏でるスペイン民謡『禁じられた遊び』が画面にかぶさり、しだいに大きく響きわたるとともに、カメラがズームバックしていく————