玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

【プロローグ】

数年前、僕が住んでいたT町(仮名)で町議会議員選挙がありました。 その時、何の因果か、僕はその町議会議員選挙に足を突っ込むことになってしまいました。 そこで経験した色々なことを、僕自身の反省とまとめを兼ねてお話したいと思います。

町議会議員は地方議員の一種であり、地方議員とは国会議員以外の県議会議員、市議会議員、町村議会議員のことです。 そして国会議員が1000人未満なのに対して、県議会議員が約3000人弱、市議会議員が約2万人、町村議会議員が約4万人弱います。 選挙での倍率は、国会議員が3倍以上なのに対して、県議会議員が約2倍、市議会議員が約1.2倍、町村議会議員が約1.1倍程度と、地方議員は意外と広き門です。 そして一定の年齢(25才)以上の日本国籍を有する人なら、原則として性別、学歴などとは無関係になることができ、しかも年齢や議員年数や経験とは無関係に同じ仕事をし、同じ給与をもらうことができます。

日本の地方議員の給与水準は諸外国に比べてかなり高く、給与だけで十分に生計が立てられます。 欧米における地方議員は、しっかりとした職業を持っている人が、社会貢献のために行う名誉職またはボランティアという性格が強い役目です。 このため無給あるいは必要経費しか支払われないということが多く、給与だけで生計が立てられるような職業ではありません。 したがって純粋に職業として考えると、日本の地方議員はけっこう穴場的な職業です。

地方議員の定数は人口によって決まっています。 僕が住んでいたT町の場合、人口が3万人強でしたから「人口5万人未満の市と人口2万人以上の町村」に該当し、議員定数は30人です。 ただしこの定数は上限であり、条例によって減らすことができます。 T町では条例によってかなり減らされていて、2004年当時の定数は20人でした。 そしてこの定数に対して、その年の2月の選挙では23人が立候補し、倍率は1.15倍でした。

このように地方議員選挙では数人落選するだけということが多く、立候補者が定数を超えずに無投票ということも珍しくありません。 これは、国会議員などと違って地方議員、特に町村議会議員は権力があまりなく、しかも労多くして報われることの少ない職業なので、なりたがる人がそもそも少ないということと、特定の地域の利害を代表することが多いため、立候補者を決める段階で地域ごとに談合が行われ、立候補者を絞ってしまうということからきています。 したがって地方議員はやりがいがあり、その気になれば誰でもがなれる穴場的な職業ですが、実際には誰でもがなれるわけではなく、またなりたがる職業ではないといえるでしょう。

建前上は誰でも地方議員になれるというものの、普通のサラリーマンがいきなり地方議員に立候補したとしても、当選するのは少々難しいでしょう。 どんな職業でも、その職業に就くのにふさわしい道があります。 そして議員にも、やはりそれなりの道があるのです。 まず一番の正道は政党や政治団体の会員になり、役員などを経由して議員になるか、自ら政治団体を結成して議員になる道です。 国会議員や県議会議員は、この正道をたどって議員になる人が多いと思います。 しかし町村議会議員は無所属のことが多く、この正道をたどる人はあまり多くありません。

二番目は、地元議員の秘書や後援会の役員を経由して議員になる道です。 この道も正道といえる道であり、この道をたどる人は国会議員でも地方議員でもけっこういるようです。 三番目は、地元の自治会や任意団体の役員、あるいは議員の後援会の役員を経由して議員になる道です。 町村議会議員の場合は、この道をたどって議員になる人が大半です。 これ以外にも多くの道がありますが、いずれにせよ色々な活動を通して顔を広め、人脈を作ってから議員に立候補するという基本は同じです。

2004年2月の町議会議員選挙で、僕が住んでいたA地区(仮名)出身の町会議員であるMさん(仮名)が引退して、代わりに僕の隣人のRさん(仮名)が立候補しました。 Mさんは3期12年間町会議員を務めた人であり、このMさんがその前年、

「次回の選挙には出ず、引退したい」

といい出したのが、僕が引きずり込まれたドタバタ劇の始まりでした。

Mさんは地元の町会議員の例に漏れず地家の農家出身で、A地区の区長(町行政協力員兼自治会長)や任意団体の役員を歴任した後、地元町会議員の後を継いで町会議員になりました。 その決め手になったのは、町議会議長を長い間務めていた長老的議員の親戚筋にあたるということでした。 町村議会議員は、こういったことから議員に推される人がけっこう多いのです。 またMさんは、やはり地元の町会議員の例に漏れず、実に人の良い朴訥とした農家のオジサンで、人間的には僕も大いに好意を持っていました。 しかし強力なリーダーシップを発揮する政治家タイプでは全くなく、むしろ議員とか政治家をやらせるのはかわいそう……と同情してしまうようなタイプでした。

このため議員2期目の後半では、A地区でこの人に対する不満が募り、反対派のようなものが形成されていました。 またT町では、現町長派と元町長派が覇を争っていました。 そしてMさんは現町長派なので、元町長派と反対派が結びついてけっこう大きな勢力になりつつありました。 その結果、前回(2000年2月)の選挙では、現職のMさんと、反対派が擁立した新人Sさん(仮名)の2人が立候補し、A地区を真二つにして激しい選挙戦が行われました。 これはA地区始まって以来のことであり、どちらかの派閥に味方すると旗色をはっきりさせた人以外の地区住民は、戦々恐々として成り行きを見守っていました。

そういった勢力争いが行われつつあった1999年の年末、そんなことは全く知らない地元音痴の僕は、色々ないきさつから、次年度の自治会役員を決める地区集会に初めて参加する羽目になっていました。 そして、地家の長老とか元教員とか元校長とか元会社役員といったふさわしい人が沢山いるのに、誰もが言い訳ばかりいいつのって逃げてばかりいるのに腹を立て、カミさんの強い制止を振り払って、

「誰もやらないのなら、僕が区長をやってもいいですよ!(^o^)/」

と立候補してしまったのです。 これが、そもそもの大間違いでした。