玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

【第6章 選挙期間】

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公示日の朝7時、選挙対策本部のメンバーが選挙事務所に集まり、今日一日の予定を打ち合わせました。 この選対本部の朝の打ち合わせと、選挙スタッフが帰ってから行う今日一日の反省と明日の予定の確認は、選挙期間中、毎日行われました。

打ち合わせが済むと、かねての計画通り、候補者のRさんと立候補届出責任者のPさんと街宣車責任者のGさんが町役場に出かけました。 立候補の受付は朝8時からですが、ほとんどの立候補者はその前に町役場に行き、受付番号を抽選するための整理券をもらいます。 そして立候補の受付が受理されると、選挙道具一式を貸与されます。 その中に街宣車の使用許可証があるので、街宣車責任者はそれを持って街宣車で警察署に直行し、警察署から特別許可証(設備外積載許可証)をもらいます。

選挙スタッフの役員は8時集合になっていましたが、主要な役員は8時前から事務所にゾロゾロと集まってきました。 さすがにみんなの顔に緊張と興奮の色がうかがえます。 僕は8時少し前から電話の前に陣取り、Pさんからの連絡を待ちました。 そして8時を5分ほどすぎた時、ようやく事務所の電話が鳴り、Pさんから連絡が入りました。 Rさんが引き当てた受付番号は2番でした。 ポスター掲示場所の目立ち具合は比較的良い方であり、幸先の良い番号といえるでしょう。 ちなみに受付番号1番を引き当てたのは隣の地区の候補者Tさんで、くしくも同じ小学校区の2人の候補者のポスターが、1番と2番に並んで貼られることになりました。

電話を受けた僕は、すぐに待ち構えていた連絡係の人達に受付番号を伝え、その人達が掲示板設置場所で待機しているポスター掲示担当者に連絡を入れました。 ポスター掲示係の人達は、他の陣営より1秒でも早くポスターを貼ろうと意気込んでいて、連絡を受けるとすぐにポスターを貼り始めたはずです。

連絡が済むと、今度はスタッフ全員で出陣式の準備を始めました。 出陣式は10時から始める予定で、会場の準備は既にある程度整っています。 そこで司会進行役の僕は、出陣式で挨拶などをする人達を集め、式次第の打ち合わせを行いました。 出陣式には、来賓として町長と県会議員が参加してくれることになっていました。 しかし2人とも多数の候補者の出陣式に来賓として参加するため、何時頃に到着するのか不確定でした。 そこで2人の秘書からこちらの連絡係に適宜連絡を入れてもらうことになっていて、僕はその連絡係の報告を聞きながら、式次第を適当に前後させて時間調整をすることにしていました。

2人の来賓は、ここが終わるとすぐに次の候補者の出陣式に行きます。 そのため、他の人が挨拶していても途中で無理矢理割り込めるように、2人が到着しそうな時間帯は、できるだけ後援会幹部や選挙役員といった身内の人が挨拶をするように調整したいと思いました。 そこでそのことを、挨拶をすることになっている人達と打ち合わせ、さらに出陣式の最初に司会者の僕から参加者に説明することにしました。

その打ち合わせが終わらないうちに、町役場に行っていたRさんとPさん、そして警察署に行っていたGさんと街宣車が戻ってきました。 そして、早速、地元の住民に立候補の挨拶をするために、ウグイス嬢と街宣車担当の第一陣が街宣車に乗り込み、地元A地区に繰り出して行きました。 Rさんは、事務所を訪れる激励の人達や出陣式の来賓の対応のため、この時はあえて同行しませんでした。

この時、事務所にいたスタッフは全員外に出て、「エイエイオーッ!\('O')」という掛け声を上げて街宣車を見送りました。 この恥ずかしい掛け声をかけたのは、さすがに最初の時だけでした。 しかし選挙期間中は、街宣車やモモタロウ隊が出かけるたびに、選挙事務所にいるスタッフは必ず全員外に出て拍手で見送り、街宣車やモモタロウ隊が帰ってきた時も、スタッフ全員が必ず外に出て拍手で出迎えました。

実際に見送られる側を経験するとわかりますが、スタッフ全員に拍手で見送られ、拍手で出迎えられるのは非常に気持ちが良いものであり、運動員の士気が上がりスタッフの一体感が増します。 これは選挙プロであるGさんがしつこいほど指示して徹底させたことで、さすがに人間心理のツボを心得ているなぁと感心したものです。 僕の元の会社でも、これと同じようなことを営業活動に出かける社員に対して行うように常々いわれていました。 しかし、残念ながらこれほど徹底して行われてはいませんでした。 こういった面では、僕の元の会社は選挙運動に負けてましたねぇ。

そうこうしているうちに、ポスター掲示係の人達が次々と戻ってきました。 首尾を聞くと、さすがに準備を整えて臨んだだけあって、どの掲示場所でもポスター掲示の素早さはトップグループだったそうです。 ポスター掲示はやはり経験が物をいうようで、経験の浅い人達は脚立や画鋲用金槌といった七つ道具を用意しておらず、ポスターを貼るのに苦労していたそうです。 中でも公明党所属の女性候補者のポスター掲示係は、全員が女性であり、ポスターと画鋲とセロテープしか用意しておらず、高い場所のポスターが貼れずに苦労していたそうです。

そこで敵に塩を送る心意気というか、単にオジサン達が鼻の下を伸ばしたというか、とにかく七つ道具を貸してあげたので感謝されたということでした。 公明党は創価学会員が選挙スタッフになるので、選挙組織がしっかりしていて選挙慣れしているだろうと思っていたので、この話は意外でした。

それから、下見の時に問題がありそうだと思われた、公営競馬のトレーニングセンター内にある掲示場は、意外なことに全く問題無くすんなりとポスターを貼ることができたとのことでした。 その地区の候補者は、選挙運動などしなくても当選することがわかっているので、ヘタに選挙妨害じみたことをして騒がれるのを恐れたのかもしれません。

Rさんの人柄を反映してか、朝早くから激励のために親戚や知人が続々と事務所を訪れていて、Rさんはその対応に大童でした。 事務所の前には机と椅子と記帳用のノートが用意されていて、受付係が来訪者に住所と指名を記帳してもらうことになっていました。 そしてサクラとして、スタッフがあらかじめ自分達の住所と指名を記帳していました。 ところが出陣式が始まる前から多くの来訪者が記帳していて、サクラの必要がないほどでした。

スタッフはスタッフジャンパーだけでなく、必勝の文字と日の丸が染め抜かれた必勝鉢巻を締めていて、その必勝鉢巻は来訪者にも配られました。 このため、事務所の周囲には必勝鉢巻を締めた妙にハイテンションな人達がたむろしていて、一種異様な雰囲気になりつつありました。 僕もスタッフジャンパーと必勝鉢巻を渡されていて、ジャンパーだけは着ていましたが、必勝鉢巻は生理的にどうしても抵抗があり、仕方なく首に巻いていました。 しかし出陣式の時間が近づき、参加者が続々と集まり始めると、さすがに司会進行役として鉢巻を締めないわけにはいかなくなり、プロ意識に徹することにして鉢巻を締めました。 こんな恥ずかしい鉢巻はプロ意識に徹して腹をくくるか、それともお祭り騒ぎの雰囲気に陶酔してシラフではなくなってしまわないかぎり、とても締められるものではありません。

そうこうしているうちにA地区で立候補の挨拶をしていた街宣車が戻って来て、選挙スタッフが全員揃いました。 その間にも出陣式の参加者は続々と詰めかけていて、100名くらいだろうという事前の予想をかなり超え、事務所に入りきらずに外にあふれる人まで出てきました。 やがて予定時刻の10時になったので、僕はスタッフに合図をして出陣式を始めました。 司会は色々とやりましたが、出陣式の司会をやるのはさすがに初めてなので要領がわかりません。 そこでとにかく元気で明るく楽しくをモットーにし、プロ意識に徹してやることにしました。

司会進行役は元の会社の会議や、医者相手の研究会でやり慣れているので、いつもあまり緊張しません。 しかしこの時は、自分が出陣式の司会進行役をやっているという状況が妙に可笑しく、全く緊張せずに楽しみながら司会をすることができました。 ヘソ曲がりで唯我独尊の僕は、町長や議員といった政治家連中をあまり評価していない上、選挙運動もお祭り騒ぎのひとつくらいにしか考えていないので、緊張しようにも緊張できなかったのです。

出陣式の式次第は以下のとおりです。 心配していた町長と県会議員の挨拶は、タイミング良く後援会役員挨拶の時に横入りさせることができました。

(1) 開会の辞後援会幹事
(2) 事務長挨拶事務長
(3) 来賓挨拶保守系地方議員、革新系地方議員、組合幹部等
(4) 後援会役員挨拶後援会会長、後援会幹事
(3)'来賓挨拶町長、県会議員
(5) 立候補者挨拶候補者
(6) 必勝ダルマ目入れ候補者、事務長、後援会会長
(7) がんばろう三唱後援会幹事
(8) 乾杯後援会幹事
(9) 閉会の辞後援会幹事

出陣式という場のせいか、来賓の人達も、挨拶をした後援会幹部の人達もやたらと力が入っていて、隣で聞いていて笑いをこらえるのに苦労しました。 それにひきかえ司会進行役の僕は、まるで結婚式の二次会のようにリラックスしていて、我ながら何となくひとりだけ浮いているような気がしました。 これはまあ、こういったことをそれほど重要とは思わないヘソ曲がり的性格からして、致し方ないところでしょう。

式次第の8番目に「乾杯」がありますが、選挙挙事務所の来客にアルコール類は出せないので、これは缶入りのお茶を配って行いました。 しかもお茶とお菓子は事務所内でしか提供することができず、家に持ち帰ると選挙違反になります。 このため司会進行役の僕から出席者にそのことを説明し、事務所内で飲み干してもらうように注意を促しました。 しかしそうはいっても実際に事務所内で飲み干していく人は稀で、ほとんどの人が持ち帰りました。 そこで選挙スタッフはそれを見て見ぬふりをし、建前上は参加者には事務所内で飲み干してもらったことにしました。

選挙ではこういった本音と建前の使い分けが沢山あり、そのさじ加減がやたらと難しいのです。 有権者は公選法をほとんど知らず、その意識は昔とあまり変わっていないので、あまりに四角四面にやると票を逃がすことになりかねません。 かといって、選挙違反で摘発されたら元も子もありません。

その上、公選法は時々改定されるので、ベテランの選挙プロでも、対応に迷った時は必ず選挙管理委員会に相談に行き、しっかりとした言質を取ってから行動します。 「以前は良かったから、今回も大丈夫だろう」とか「この程度のことは、多分大丈夫だろう」といった憶測は禁物であり、ベテランの選挙プロになるほど石橋を叩いて渡るようなところがあります。 ただし叩いてばかりいては仕事が進まないので、叩きどころを見極める必要があり、それにはやっぱり経験が大きくものをいいます。

選挙自体は茶番としか思えない僕ですが、どんな道でもプロに徹した人にはそれなりに敬意を払います。 このため選挙プロには感心させられることが多く、選挙に関しては全面的に指示に従いました。 ただし選挙以外のことではほとんど指示に従わず、お互いに相手を認めて好意を持ちながらも、色々な所で衝突して議論を戦わすことになります。