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【第1章 町会議員と区長】

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それまでは、地元のA地区の集会には全てカミさんが出席していて、色々な役も全てカミさんが務めていました。 例えば子供達が小学校の時、たまたまA地区が小学校区子供会連合の会長を出す番に当たったことがあります。 この時、子供の学年から見てカミさんがA地区の子供会役員を務め、しかも元小学校教師という経歴から考えて、会長をやらなければならない雰囲気になっていました。 子供会連合の会長は当番地区の子供会会長が兼任することになっていたので、このままならカミさんが連合会長を兼任することになります。 ところが驚いたことに、僕が住んでいたT町には「連合会長は男が務める」という非合理かつ前時代的な慣習があったのです。

このため、

「僕がやってもいいよ。σ('_')」

とカミさんに申し出たところ、

「あんたなんかがやったら必ず深みにはまるから、絶対ダメッ!!(-"-)」

と断られました。 そして結局、カミさんがT町で初めての女性連合会長になりました。

自治会役員を決める地区集会についても、僕を出したら必ず大役を引き受けるだろうとわかっていたカミさんが、僕の出席を固く禁じていました。 しかし勢力争いのことがあったせいか、その年の地区集会は揉めに揉めて、1回目でも2回目でも役員が決まりませんでした。 そしてついには、「次回の集会には必ず男が参加すること」という申し合わせがされてしまいました。 封建的なT町では、自治会役員を務めるのは圧倒的に男が多く、特に「区長は男でなければならない」という非合理かつ前時代的な不文律がありました。 このため役から逃れたい家は、ウチのように奥さんが集会に参加する傾向があったのです。 この申し合わせは、そういったズルをさせないことが目的でした。

その申し合わせがされた時、カミさんは、僕が集会に出れば必ず役を引き受けてしまうだろうと思い、

「どうせいつかはやらなきゃならないので、役員をやるのはかまわないけど、他に適任者が沢山いるんだから、区長だけは絶対にやらないように!(-"-)」

と強く釘を刺しました。 しかしそういいながらも、すでにその時カミさんは、ひょっとしたら僕が区長を引き受けてしまうかもしれないと薄々予感していたそうです。

無闇矢鱈にわけのわからない世界に飛び込みたがる物好きで、しかもやってはいけないといわれると意地でもやりたがる天邪鬼で、その上、どうせやるなら端役ではなく主役級になって、自分の思い通りやりたがる唯我独尊のこの性格には、我ながら困ったもんです。

T町の区長という役目は、普通の自治会長または町内会長と違って、町行政協力員という役目を町から委託された特別公務員になります。 このため自治会の運営を行うだけでなく、町と地元地区住民のパイプ役として、住民の色々な要望を取りまとめて町に申請し、町からの各種配布物を住民に配布し、各種の通知を住民に広報します。 例えば道水路の整備や清掃や害虫駆除などの要望は全て区長が取りまとめて町に申請し、その許否、実施予定、実施結果は区長に通知されます。 また各種の補助金も区長が取りまとめて申請し、それらは区長の口座に振り込まれます。 さらに建物を建てたい時や、水路に浄化槽などからの排水を流したい時は区長の許可が必要であり、法人の担当者や家主が青写真を持参して区長のところに許可印を貰いにきます。

区長の前身は村議員という地方議員の一種であり、村長と一緒に村の行政を担当していました。 その村議員制度は第2次世界大戦後に廃止され、代わりに現在の区長制度ができました。 しかし区長は村議員の業務を慣習的に引き継いでいて、まるで役人のようなことまで行ったそうです。 例えば少し以前まで、住民の税金関係の処理は区長を通して行われたため、区長は住民台帳を町から貸与されました。 実際、区長になった後、地元の公民館の倉庫で古い住民台帳を見つけました。 その台帳には、恐ろしいことに僕の家族の個人情報がしっかりと記載されていました。

また区長は、小学校区の区長連合と自治会連合、各種委員会、各種任意団体などで構成される小学校区コミュニティ推進協議会を運営し、住民参加の各種行事を主催します。 この行事が大きいものだけで年に10回ほどあり、それに地元地区の自治会が主催する各種行事を合わせると、月に1回以上は行事を主催します。 さらに住民代表として町の各種委員会や各種団体のメンバーになり、色々な会議や行事に参加します。 それらの会議とコミュニティ推進協議会と自治会関係の会議を合わせると、週に1回以上は会議があります。

さらにまた地元の保育所や小中学校や各種任意団体、そして神社・仏閣関係の各種行事に来賓として参加します。地元の神社は大祭が年に2回と中祭が1回、そして月次祭が月に1回あり、仏閣関係では地蔵際が年に2回あります。 その上、住民が死亡した時は住民代表として葬儀に参列します。 A地区は戸数が800軒ほどで老人が非常に多いため、年に10回以上は葬式がありました。 このため僕は、冠婚葬祭用の礼服と白と黒のネクタイをいつも用意しておき、ポケットには常に数珠と香典を入れておきました。

こうした定例業務以外に、「道路を作って欲しい」とか、「下水道を整備して欲しい」とか、「横断歩道を作って欲しい」とか、「大雨で下水が溢れているので何とかして欲しい」とか、「電車の騒音が激しいので何とかして欲しい」とか、「違法駐車の車を何とかして欲しい」とか、「不法投棄されたゴミを何とかして欲しい」とか、「犬の散歩をする人が糞の始末をしないので何とかして欲しい」とか、「ヌートリアが畑の作物を荒らすので何とかして欲しい」とか、「猫の死体が落ちているので何とかして欲しい」とか、「近所迷惑な家があるので何とかして欲しい」とか、「宇宙人から地球を守るために地球防衛隊を組織して欲しい」(←ウソ!(^^;))とか、とにかくありとあらゆる要望、苦情、不平、不満、ワガママが全て区長のところに持ち込まれます。

何しろA地区には800軒ほどの家があったので、1週間に1人以上は訪問者が訪れ、ほとんど毎日、誰かから電話がかかってきました。 こんな調子ですから、ほとんどの休日は色々な行事や会議でつぶれ、平日の3分の2ほどは昼または夜に会議や打ち合わせがありました。 そういった要望を処理し、会議や打ち合わせを行うためには、暇が十分にあり、しかも地元のことに精通している必要があります。 このため区長は地家の長老か、会社をリタイアした人か、自分で商売をやっている人が務めるのが普通でした。

僕はそれまで地元のことはほとんどやってこなかった地元音痴だったので、こういったことは全て区長になってしまった後で初めて知りました。 カミさんは僕よりは事情を知っていましたが、それでも区長がこれほど大変な役目だということは、やはり僕が区長になった後で初めて知ったそうです。

ところが天邪鬼で唯我独尊の僕は、自ら立候補した以上は徹底的にやってやろうとファイトを燃やし、暇さえあれば区長経験者や地家の長老から色々と教えてもらい、地元を探索し、役場や図書館で地元の歴史と現状を調べ、色々な人を訪問して話を聞かせてもらいました。 このため休日と平日の夜はもちろんのこと、平日の昼間(つまり会社の業務時間中)も区長関係の仕事に没頭し、年に20日以上の有給休暇を取りまくりました。 それが元になってか、後の話ですが、区長を辞めたとたんに部署を転属する羽目になったのであります。

T町の区長という役目がこれほど大変な理由は、一言でいえば町の財政事情です。 T町の近郊の大都市であるN市(仮名)の場合は、人口密度が高くて企業も密集しています。 このため税金が沢山集まり、市の財政規模は1兆数千億円もあります。 それに対して、T町の財政規模はたかだか100億円程度です。 そして面積はN市の10分の1程度であり、人口密度も10分の1程度です。 このため一定面積当たりに使える公的経費は、N市の10分の1ほどになります。 簡単にいえば、N市で道路1メートル当たりに10万円の公的経費が使えるとしたら、T町ではたった1万円しか使えないということです。

住民が同じように税金を払っても、公的経費が10分の1しかないのですから、N市と同じ行政サービスを期待するのはどだい無理というものです。 このためどうしても住民におんぶすることが多くなり、住民の負担が大きくなります。 そしてそのために各地区に区長という行政協力員を設置し、住民と町とのパイプ役を務めてもらうと同時に、住民が「自主的に」行政の手助けをするように、区長にリーダーシップを取ってもらっているのです。 したがって端的にいえば、区長とは「町役場すぐやる課」の各地区特別出張所長兼雑用係であると同時に、建前上は住民の自主的なボランティア活動でありながら、その実、行政指導による半強制的な住民使役の指導者ということになります。

区長が運営するコミュニティ推進協議会の行事には、運動会とか盆踊り大会のように、住民の親睦を目的としたものももちろんあります。 しかし住民総出で町中のゴミを拾って歩くゴミ0運動とか、住民総出で道路や水路や公園の大掃除をする年末一斉大掃除といった、住民の親睦よりもむしろイガミ合いを助長する行事がけっこうあります。 何しろクソ寒い12月に、水路に入ってヘドロを汲み出し、コンクリート製の重い側溝の蓋を開けて溜まったゴミやヘドロを掻き出すのですから、老人が多い地区の住民には大変な作業です。

しかもその行事は、住民が話し合って自主的に行うことを決めたものではなく、町から区長を通して天下り的に決められた半強制的なものなのです。 このため、やれ誰それの家は女しか参加していなくて不公平だとか、やれ上流担当の隣組がウチの組の担当水路にヘドロを流すのでケシカランとか、とにかく不平不満続出の、親睦とはほど遠い行事になってしまいます。

そういった住民使役行事だけでなく、道路や公共施設の掃除とか、ゴミ集積場に集められたゴミの整理分別とか、防犯灯や消火栓のメンテナンスなどといった、本来は公共事業として行うべき仕事も住民が当番制で行っています。 昔から住んでいる地家の人達は、町の事情をよく理解しており、昔からやってきたことなのでそれが当然と思っています。 しかし僕のようにN市などから移住してきた人は、そのあたりの事情をほとんど理解していません。 このため、

「N市よりも高い住民税を払っているのに、どうしてこんなことまで住民がやらんといかんのだ!? 町役場は何をやっているんだ! 区長はどうして町役場に抗議せず、役人のお先棒を担ぐような真似をするんだ!!p(-"-)」

などと、どうしても区長に非難が集中することになります。 実際、僕自身も区長をやるまではそう思っていたので、人のことは全くいえません。

このように区長と町会議員の仕事は重なる部分が多く、色々な場面で行動を共にし、協力して事を行うことが多々あります。 例えば各種の申請は区長が書類を提出し、その地区出身の町会議員が町に働きかけて許可を得やすくする、という構図になっています。 このため地区出身の町会議員はたいてい自治会の顧問になっていて、区長と町会議員は必然的に親しく付き合うことになります。

町会議員にとっても誰が区長になるかということは大きな関心事であり、町会議員が自分の派閥の人を区長にしたり、区長が町会議員の後援会会長を務めるということも決して珍しくありません。 A地区でも、それまでは町会議員と地元の有力者が中心になって根回しを行い、地区集会までには次期自治会役員がほぼ内定していました。 しかしその年は、次期町会議員候補をめぐる勢力争いのために根回しが失敗していたのです。