玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

【第2章 準備期間】

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事務局2年目(2003年)の夏頃、地元A地区の町会議員Mさんが、突然、

「次回の選挙には出ず、引退したい」

といい出しました。 突然といっても、家族や親しい友人には前々からそう話していたそうであり、夏頃、後援会の役員にはっきりと公言したのです。 僕はMさんとはかなり親しくなっていて、お人好しで朴訥な人柄と、心臓関係の持病を持っているということを知っていたので、その人のためにも、その人の家族のためにも、議員を引退することに個人的には賛成でした。

しかしMさんは後継者を育てておらず、しかも次回の選挙は翌年の2月頃行われる予定なので、後援会の人達は大いに慌てました。 町会議員というのは、個人的な仕事というよりも、地元地区の利権を守るために担ぎ上げられた地区代表という意味合いが強い役目です。 このため引退する場合は後援会と相談し、あらかじめ後継者を決めておいて、選挙の1年以上前から派閥の親分や地区の有力者などに引き合わせ、顔を売ると同時に育成しておくのが普通です。 それをせずに、選挙まで半年あまりになっていきなり引退宣言したのですから、後援会の人達が慌てたのも無理はありません。

しかも前回の選挙では、反Mさん派が擁立した新人候補Sさんが同じA地区から立候補し、もう少しで当選するところでした。 後継者を見つけられず、次の選挙に候補者を立てることができなければ、Sさんがもう一度立候補して、今度は楽々と当選してしまうでしょう。 そこで後継者として白羽の矢を立てられたのが、他ならぬこの僕でした。σ(^^;)

実はMさんが引退宣言するかなり前に、Mさん自身からそれとなく打診されたことがあり、僕はそれを断っていました。 このため後継者が見つけられなければ、僕に白羽の矢が立つのをうすうす予想はしていました。 またMさんが引退するということを知った反Mさん派の人からも立候補を打診され、勉強会などを通して親しくなった共産党議員団の人達からも立候補を薦められました。 またA地区の中には、僕が立候補することを既成事実のように考えている人達がいて、あらぬ噂が盛んに飛び交っていました。

実際、会う人ごとに、

「今度はあんたが立つそうだね、地元のために頑張ってくれよな!」

といわれ、他人にはそれほど悪どい人間に見えているのかと、自分の腹黒さを今更ながらに思い知らされる感じでした。

区長だった時は、いちいち否定するのが面倒だったのでそういった噂は無視していました。 しかし、今度ばかりはそういうわけにはいきません。 そこでいたずらに誤解を招かないように、打診されるたびにはっきりと断り、あらぬ噂についてもいちいち否定し、町会議員に立候補する気など僕には全くないことをA地区の人達に理解してもらうように努めました。

Mさんの後援会の人達は、仕方がないので別の後継者を捜しましたが、Mさんが後継者を育成していなかったせいもあり、なかなか見つけられません。 そのうちに、反Mさん派の人達がまたSさんを担ぎ上げ、立候補の準備をしているという噂が伝わってきたため、Mさん派の人達は徐々に焦りの色を濃くしていきました。

僕はMさん派の人達とも反Mさん派の人達ともある程度親しく、どちらの言い分もわかる気がしていました。 また人と同じことをするのが大嫌いで、横並び主義的な考えや、全体主義的な考えに強い嫌悪感を持つ天邪鬼的性格ゆえに、人によって意見が違うのは当然であり、色々な意見を持った人達がお互いに議論するのは、決して悪いことではないと思っています。 このため本音をいえば、Mさん派と反Mさん派の両派が候補者を立ててお互いに議論を戦わせ、それによってみんなが自分達の地区のことについて真剣に考えるようになれば何よりだと思っていました。

しかし前回の選挙や自治会活動を通して、この土地の人達は感情を抜きにして客観的に議論を戦わせることが苦手であり、ややもすると議論の内容よりも相手に対する感情で賛成したり反対したりしがちであることと、議論を戦わせるとどうしても感情的なしこりが残ってしまうこと、そして横並び主義的な考えが非常に強いことがわかってきました。 また前回の選挙で反Mさん派が擁立したSさんと付き合い、その人のことを知れば知るほど、この人が町会議員になったら権力を振りかざし、住民のためよりも私利私欲で動いて金権政治をするだろうから、この人を町会議員などにしてはいけないと強く思うようになりました。

しかしSさんが次の選挙にも立候補するつもりでいることはわかっていましたし、前回の選挙の結果とA地区の有権者数から考えて、このままMさんの後継者が見つからなければ、今度は楽々と当選してしまうことは目に見えていました。 僕はどちらの派閥からの誘いも断ったことに多少の責任を感じていたので、できればMさん派とも反Mさん派とも無関係な人で、かつ町会議員にふさわしい人を個人的に探し始めました。 そして、好都合なことにそういう人物が身近にいたのです。

自治会の改革をしようとした時、できるだけ多くの人の意見を取り入れ、みんなが納得できるような方法で改革を進めようと考え、A地区を150戸ほどの小地区に区分した5つの組の住民代表と、各種団体の代表、そして自治会役員で構成する「自治会制度検討委員会」というものを立ち上げました。 そして(主として僕の(^^;))独断専行を排除するために、自治会役員以外の人から委員長と副委員長を選出してもらい、その委員会を中心にして自治会制度の改革案を検討しました。

その時、こういったことに慣れていて、しかも人間的にも信頼できる人物として、僕と同じ組の隣人であるRさんに無理に入ってもらいました。 Rさんは鉄道関係の組合活動を長く行ってきた人であり、地域の活動にも積極的に参加していました。 そして僕よりも前に自治会の役員を務め、子供会の会長も務めたため、自然に僕の組のオピニオンリーダー的な存在になっていました。 ノンポリ(死語!)の僕と違って、Rさんは政治活動にも積極的であり、革新系の町会議員の後援会会長を務めたり、選挙活動をしたりした経験がありました。 そしてT町の現状とA地区の現状をよく理解していて、このままではとんでもない人物が町会議員になってしまうことに危機感を抱いていました。 さらに都合が良いことに、翌年の秋には会社を定年退職するはずでした。

そこで僕はRさんには内緒で、Mさんの後継者になれそうな人がいることをMさんの後援会の人にそれとなく伝え、一度、話をしてみてはどうかと薦めてみました。 Rさん本人に最初に相談しなかったのは、はっきりいって僕の卑怯な逃げです。 本人に相談すれば、必然的に僕も後援活動をしなければならないことになり、選挙活動に深くかかわることになります。 しかし生来の政治家嫌いかつノンポリ的体質から、どうしても選挙活動に深くかかわる気にはなれませんでした。 また選挙活動をすれば不偏不党ではなくなり、自分の気持ちの上で自治会活動がやりづらくなるとも感じていました。 このため区長になった時のように、自分は選挙戦に巻き込まれず、高みの見物に徹したいという虫のいい気持ちがあったのです。

もちろん、こんな虫のいい話が通るほど世間は甘くはありません。 ほどなく後援会の幹部の人が僕に詳しい話を聞きに来て、Rさんが立候補することになったら後援会を組織して欲しいと依頼されました。 そしてそれからしばらくして、今度はRさん自身が、町会議員に立候補することにしたので、僕に後援会の会長と選挙の事務長をやって欲しいと頼みに来たのです。 事ここに至って、ついに僕も選挙活動に深入りすることにしました。 そしてどうせ深入りするならとことん深入りし、できれば僕が理想とするような後援会を作り、理想とするような選挙活動をしてみようと、またしてもドン・キホーテ的な決心をしました。

区長に立候補した時と同様、これがとんでもない大間違いでした。