玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

【第3章 実践期間】

1

さて、色々と紆余曲折はあったものの、結果として予定より半月ほど早く後援会を発足することができたので、早速、執行部は選挙の準備を始めました。 まず最初に行ったのは、後援会のしおりを作成することでした。 これは立候補者であるRさんの写真とプロフィール、キャッチフレーズ、政策、後援会の概要、後援会入会申込書などを印刷したリーフレットのことであり、選挙に関連して見たことがある人も多いと思います。 後援会のしおりがないと会員の勧誘ができないので、まずはこれを作ることが最優先事項です。

後援会のしおりは、Rさんが後援会会長をしていた町会議員のものを下敷きにして、後援会の執行部案を検討する時に一緒に検討し、すでに原案はできていました。 そして結成大会で後援会の基本方針が承認されれば、すぐにでも印刷できるように手配していました。 このため、結成大会の1週間ほど後には刷り上りました。 それを代表役員を通して全役員に配布し、すぐに草の根10倍運動に従って会員の勧誘を始めてもらいました。 タイムスケジュールでは、1月中旬までに1000名以上の後援会会員を確保することになっているので、計画を半月ほど前倒しできたとはいえ、依然として相当精力的に勧誘してもらわないと目標達成は難しい状況です。

後援会のしおりの次は、後援会の立看板と選挙用ポスターの図案を検討しました。 実は、ポスターの作成はもう少し後でもかまいません。 しかしポスターは、後援会のしおりや立看板と同じコンセプト、同じイメージで統一する必要があるので、一連のものとして検討した方が効率的なのです。

後援会のしおりを印刷する時、僕はRさんのイメージカラーを決めることを提案しました。 イメージカラーは選挙やキャンペーンには必須のものですが、現町会議員のMさんの選挙活動では特に決めていなかったようです。 この提案はみんなの賛同が得られ、色々と検討した結果、新人らしい爽やかさをイメージさせようとスカイブルーに決まりました。 そのため後援会のしおりは薄いブルーの用紙を使うことにし、立看板やポスター、選挙のスタッフジャンパーなどもスカイブルーを基調にすることにしました。

立看板は、公選法によって大きさと枚数の上限が決められています。 すなわち後援会の広報用が最大4枚で、後援会連絡所の表示用が最大4枚です。 もちろんそれらは公共の場所に置くわけにはいかず、私有地に置かなければなりません。 このため置き場所について色々と検討し、最も効果的で、かつ地主の協力が得られやすい場所を選択しました。 選挙用ポスターは、Rさんが後援会会長をしていた時に知り合ったプロに依頼し、こちらのコンセプトに基づいて数点の案を作成してもらいました。

Rさんは若い頃から素人劇団で役者をやっていて、実はかなりの二枚目です。 このため、地元のオバサン連中にけっこう人気がありました。 そこで僕はできるだけ婦人票を取り込もうと思い、女性役員や執行部の奥さんに数点のポスター案を見せて、一番気に入ったものを選んでもらいました。 そしてそのデータを参考にして、執行部で最終的な採用案を決定しました。 選挙はタレントの人気投票のようなもの──というより、はっきりいって人気投票そのもの──なので、こういった形而下的配慮がけっこう効果的なのです。

選挙用ポスターの図案が決定したところで、執行部は活動の重点を後援会の会員勧誘に移しました。 僕とRさんの計画では、後援会結成から総決起大会までの間は、役員が中心になって地区ごとまたは団体ごとに小集会を開き、政策理念の広報と後援会の拡大を行う予定でした。 小集会は5〜10人程度の気楽な茶話会のような形式にし、Rさんを中心にして、ざっくばらんに色々なことを話し合い、みんなにRさんの人となりや政策理念を知ってもらうと同時に、色々な人の意見を聞いて、選挙活動に反映していくつもりでした。 この小集会は当選後も続け、町政の現状や問題点を報告したり、住民の意見を吸い上げて、政治活動に反映したりするのに利用する予定でした。

こういった住民に密着した地道な活動によって後援会の基盤が固まれば、従来のように有力政治家と地縁に頼った政治活動や後援会活動をしなくてもやっていけると思ったのです。 このため今回の選挙活動では、従来の地縁型選挙活動はMさんの後援会経験者に任せて、僕は主としてそういった住民参加の草の根型活動を行うつもりでした。

Rさんの方は、立候補の挨拶と後援会への勧誘のために、まず地元A地区の戸別訪問を行いました。 選挙期間中の戸別訪問は選挙違反ですが、この時はまだ選挙期間ではないので違反にはなりません。 戸別訪問は、原則として相手に顔の利く人と同行します。 このため、まず地区の後援会役員と相談して、自治会役員経験者や地家の長老といった人達を紹介してもらい、その人達の承諾が得られれば地区役員と一緒に同行してもらいます。 もちろん、後援会の地区役員はできるだけそういった顔役を選んでいるので、地区役員だけが同行する場合もあります。

僕は区長の時に手当たり次第に自治会役員経験者と面談し、過去の自治会のことなどを色々と教えてもらっていたので、顔見知りの自治会役員経験者を訪問する時には同行しました。 またRさんと僕の家が属している小地区の人達は、ほとんどがRさんのことも僕のことも知っていたので、小地区の家を戸別訪問する時には僕が「顔役(^^;)」として同行しました。

訪問先の反応は様々でした。 「地元のために頑張ってください!」と激励してくれる人もあれば、玄関の戸を半開きにしてこちらを胡散臭そうな目で見る人や、露骨に迷惑そうな表情をする人などもいました。 激励してくれるのはだいたい地家の人達に多く、胡散臭そうな顔や迷惑そうな顔をするのは、やはり新興住宅の人達に多かったようです。

胡散臭そうな顔や迷惑そうな顔をするのは、期間外の戸別訪問は選挙違反ではなく、元自治会役員が選挙に協力するのも選挙違反ではないとはいうものの、やはり何となく法律違反臭い感じがするせいでしょう。 また、政治や権力争いに巻き込まれるのはごめんだという気持ちもあると思います。 典型的な新興住宅住民であった以前の僕もそう思っていましたし、道義的には後ろめたい気持ちが十分あったので、そういった家では簡単な挨拶だけして、早々に引き上げるようにしました。

公務員などの公職にある者が、その立場を利用して選挙運動をすることは選挙違反です。 普通の自治会は地縁団体もしくは任意団体ですから、自治会役員が選挙運動をしても選挙違反にはなりません。 しかし僕の地区の自治会長と自治会副会長は、区長と区長補助員を兼任することになっています。 そして区長と区長補助員は、町から町政の補助役を委託された特別公務員ですから、その立場を利用して——つまり顔を利かせて——選挙運動をすると、当然、選挙違反になります。

ところが元区長または元区長補助員が選挙運動するのは選挙違反ではなく、選挙期間外ならば、現役の区長と区長補助員が後援会活動をしても選挙違反にはなりません。 実際、この土地では現役の区長と区長補助員が町長や地元町会議員の後援会活動をするのは同然であり、むしろ義務のひとつと考えられています。 そして地家の人が区長や区長補助員をやっている時は、選挙期間でも堂々と選挙運動をしていたりします。

A地区でも以前はそういった慣習がありましたが、地家の人だけでなく新興住宅の人も区長をやるようになり、さすがに現役の時に選挙運動をするようなことは減ってきています。 僕が区長の時は、町長や県会議員の後援会の親睦会に来賓扱いで参加しましたが、会員になることは特別公務員であることを理由に拒否し、選挙運動にはもちろん参加しませんでした。 それが今回は選挙活動の中心になり、「元区長会長」という立場を利用して戸別訪問をしているわけですから、法律的に問題はなくても、自分の気持ちとしてはやはり後ろめたいものがありました。

Mさんの地盤地区は1000戸ほどあるので、この戸別訪問は思ったよりも時間がかかりました。 このためRさんの体が空かず、僕が活動の中心にしようと思っていた小集会がなかなか開けませんでした。 そこで僕は、独自に草の根型活動を行うことにしました。 まず知り合いの人を訪問して、僕がこのような活動をすることになった理由と目的などを説明すると同時に、色々な情報収集を行いました。

第2章で説明したように、僕と親しい人は、地位や権力とは無縁で政治活動とは距離を置くタイプの人が多く、あえて今回の選挙活動に引きずり込みませんでした。 そのためそういった人の大半が、僕がこのような活動に深入りしたのを不思議に思っていました。 そういった人達に対しては、とんでもない金権主義者が地元の町会議員になることを阻止したいためと、前回の選挙で住民の間に生じた感情的なしこりを何とか解消したいためという本音を説明し、できれば今までどおり選挙活動からは距離を置き、僕等の活動を客観的に見守って、おかしなところがあったら遠慮なく忠告して欲しいと頼みました。

またそれほど親しくない人の多くは、反対に僕が立候補しなかったことを不思議に思っていました。 そういった人達に対しては、政治活動にかけては僕よりもRさんの方が実績と能力と熱意を持っているので、僕はRさんをサポートする役目に徹することにしたと説明し、Rさんの経歴や人となりを説明して支持を依頼しました。

こういった草の根型活動の中で、他の立候補予定者に関する情報収集も行いました。 前回の町会議員選挙では、地元小学校区から5人が立候補しました。 この5人のうち、僕等のA地区のMさんと隣の地区のTさんについては現状がわかっているので、主に他の3人に関する情報を収集しました。

まず一番気になっているA地区の金権候補Sさんに関しては、家族が強く反対しているためと、反Mさん派の一部がRさんの後援会に協力することになり、当選するのは前回以上に難しいことが予想されるため、どうも今回は立候補しないらしいという情報を入手しました。 これは僕等の作戦が功を奏しつつあることを意味しているので、僕は内心ほくそえみました。 しかし相手は、たとえ自分が当選しないことがわかっていても、自分に反対する人を困らせるためだけにでも立候補しかねないような人なので、立候補の受付が締め切られるまでは気を許さないようにしようと、気を引き締めました。

隣の地区のもうひとりの立候補者Eさんは、選挙を趣味にしているような人であり、これまでも毎回のように立候補しては落選を繰り返してきて、前回の選挙でも見事に落選しました。 前回の選挙の定員は22名で立候補者が24名だったので、結局、このEさんとSさんだけが落選したのです。 Eさんに関しては、やはり家族が猛反対していることと、老齢からくる病気のせいで、今回は立候補しないらしいという情報を入手しました。 これは隣の地区のことであり、A地区への影響は少ないものの、安心材料のひとつになることは確かです。

3人目は共産党の女性議員Jさんです。 この人は誠実な人柄と粘り強い実行力を持った、T町には珍しい非常に立派な政治家です。 区長をやる前からJさんには敬意を持っていましたが、区長の時に一緒に仕事をしてすっかり意気投合しました。 そしてこのJさんに誘われて、町の共産党議員団が主催する色々な勉強会や、市民団体が行う色々な活動に参加したりしました。 今回、僕が選挙活動に深入りすることを決めた時にも、自民党系の選挙プロに政党型選挙活動のやり方を教えてもらう一方、Jさんからは住民参加型選挙活動のやり方を教えてもらいました。

Jさんは、一応、共産党に所属していたものの、元来は市民派の女性政治家であり、共産党を利用しつつ独自の政治活動を行っていました。 T町は女性蔑視の激しい土地柄のため、女性が町会議員になるためには、共産党か公明党の公認を貰って立候補しないと難しいのです。 事実、女性の町会議員は二人いて、もう一人は公明党に所属しています。

こういった背景から、Jさんの選挙活動は政党型よりも住民参加型に近く、参考になることが多々ありました。 幸いJさんとは地盤地区が違い、しかも女性のため支持層が違っていたので、お互いに競合する部分は少ないはずでした。 僕の目論見では、JさんとRさんに、地元小学校区の政治活動を、従来の政党型・地縁型の金権的なものから、住民参加型の民主的なものに徐々に変えていってもらい、僕はそのサポート活動を行うつもりでした。

ところがJさんを訪問した時に、意外なことを知らされました。 Jさんは、近い将来に家庭の事情で引っ越す予定のため、今回の選挙には立候補しないというのです。 JさんとRさんに民主的な政治活動をやってもらい、色々なことを教えてもらおうと思っていた僕にとって、これはけっこうショックでした。

またJさんは、地元小学校区の立候補者の中ではいつもトップの票を集めていました。 そのためJさんが立候補しないとなれば、他の立候補者が当選する可能性が上がることになり、Sさんが立候補することが十分考えられます。 しかも地元小学校区の有権者数からすれば、3人の町会議員を当選させるだけの票は十分あるので、RさんとSさんの両方が当選することもあり得ます。 そうなると、全く正反対といってよいほど考え方の違う二人の町会議員がA地区にできることになり、A地区はこれまで以上に二派に分裂してしまうことにもなりかねません。 そういった事態は何とかして避けたいので、僕はそれまで以上に反Mさん派の人達を訪問し、A地区を二つに分裂させないように説得する活動に力を入れました。

そうこうしているうちに、Jさんが立候補しないことがみんなに知れ渡ったせいか、事態は予想もしていなかった展開を見せ始めました。