玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

【第7章 後処理期間】

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とはいうものの、ただのんびりと天命を待たしてくれるほど選挙は甘くなく、公式の選挙活動が終わった後に裏の選挙活動がまだ残っていました。 裏の選挙稼動といっても不法なものではなく、翌日の投票と、ちゃんと投票に行ったかどうかを支持者に確認するというフォロー作業です。 選挙期間は終了しているので、候補者の名前を出すことはもちろん厳禁です。 しかし知り合いが投票に行ったかどうかを確認するのは、別に悪いことではありません。 この投票確認作業は、投票が終了する午後8時までスタッフ全員で行うことになっていました。

翌日の投票日には朝一番に投票に行き、それから選挙運動でほったらかしにしていた家の用事を片付けました。 即日開票のため、この日の夜はやたらと忙しくなることがわかっていたので、昼の間に家の用事をできるだけ片付けておきたかったのです。 家の用事が済むと、選挙事務所に行って選挙の打ち上げ会の準備をしました。 打ち上げ会の準備は幹部だけで行うことになっていましたが、暇なスタッフが来て手伝ってくれました。

打ち上げ会では、当選祝いに樽酒の鏡割りを予定していました。 ウェディングケーキの入刀と同じように、樽酒の鏡割りも見せるためのセレモニーなので色々と細かい準備が必要です。 今回使用した樽酒は「2斗上底」といい、4斗樽の底を上げて2斗分の酒を入れたものです。 上げ底ではなく本当に4斗の酒が入ったものも、2斗樽を使うものもあります。 しかし見栄えが良くて、しかも酒が無駄にならないということで、今回はこれを選びました。

鏡割りでは樽の蓋を木槌で割り、中の酒を木の柄杓子で酌んでみんなにふるまいます。 ところが蓋は非常に丈夫にできていて、木槌で叩いたぐらいではとても割れません。 そこであらかじめ酒屋で開けてもらい、軽く叩くだけで割れるようにしておきます。 そして鏡割りをした時、酒があまりこぼれないようにするためと、みんなに酒を素早く配るために、一升瓶数本分の酒をあらかじめ取り出しておきます。 酒樽から柄杓子で酒を酌むのは、けっこう時間がかかる作業なのです。

酒は木枡に酌みますが、木枡は全員の分はなく、しかも縁起物で誰もが欲しがります。 このため運の悪い人は、あらかじめ取り出しておいた一升瓶から紙コップに酒をついでもらうという、何とも味気ないことになります。 この樽と酒と柄杓と木枡、そして樽の上に飾る立て札は買い取りでした。 そしてこれらは全て手作りなので、意外に高価でした。木槌だけは酒屋からの借り物であり、後で返すことになっていました。

打ち上げ会には、樽酒だけでなく酒のつまみと軽食も用意しました。 これらはもちろん選挙費用から出すわけにはいかないので、選挙幹部と有志のカンパでまかないました。 選挙期間は終わっていますが、選挙の前後90日間は金銭や飲食の授受は禁止されています。 したがって厳密にいうと、打ち上げ会で樽酒と軽食をふるまうのは選挙違反になります。 このため最近の選挙では、打ち上げ会もお茶とお菓子程度ですませることが多くなっているそうです。 しかしこの土地ではまだ古い慣習が残っていて、打ち上げ会に樽酒と軽食は必須です。 もちろん警察もその実態をわかってはいるのでしょうが、さすがにこの程度のことは大目に見てくれているようです。

スタッフが打ち上げ会の準備をしている間に、候補者のRさんと選挙幹部で選挙速報手順の打ち合わせをしました。 テレビの選挙速報などで、当選した候補者の選挙事務所の様子を中継することがよくあります。 その際、当選確実となった時に、支持者の拍手と万歳の声に迎えられて候補者が選挙事務所に姿を現し、御礼と決意の挨拶をすることがあります。 その光景を見ながら、自分の選挙事務所で選挙速報を聞かずに、候補者は一体どこで選挙速報を聞いているんだろうと、かねがね疑問に思っていました。 今回、自分で選挙幹部をやり、その疑問が初めて解けました。 実は、あれは場を盛り上げるための演出であり、はっきりいうとヤラセだったのです。

開票が始まる少し前から、候補者は選挙事務所近くの別の場所でこっそり待機しています。 開票が始まると、開票会場で開票参観者——各候補ごとに一人の参観が許されます——として開票の様子を見守っている選挙スタッフが、逐次公表される開票速報を選挙事務所に電話で連絡します。 この結果は選挙事務所に設けられた開票速報用のボードに記入され、支持者の一喜一憂を誘います。 そして色々なデータから当選確実と参謀が判断したら、ひそかに候補者に選挙事務所に来るように連絡し、その到着のタイミングを見計らって、選挙事務所に詰め掛けている支持者に当選確実の報告をし、そこにタイミング良く候補者が姿を現して拍手と万歳の嵐になるというわけです。

これは、冷静に考えるとかなりわざとらしいクサイ演出です。 しかし選挙事務所に詰め掛けた支持者達は、開票速報用ボードに記入される結果を見ながら、やきもき、そわそわ、じりじり、イライラしているので、当選確実になると見事にはまってやたらと盛り上がり、自然に万歳、万歳の大合唱になるのです。 個人演説会の演出と同じように、政治の世界ではベタでクサイ演出ほど受けが良く、ハイセンスでしゃれた演出は受けが良くありません。 これは、政治の世界が封建的かつ前時代的であることに主な原因があります。 特に地方政治の世界は、近代的な民主主義的思想とは馴染まないところが多々あるのです。

選挙速報手順の次にスタッフの担当を決めました。 僕は、選挙速報と打ち上げ会の両方の司会進行役をすることになりました。 しかしせっかくの機会なので、開票現場を見学したくて、開票の参観者役と司会進行役の二役をすることにしました。

開票には正式な立会人(「りっかいにん」と読みます)と、ただ傍観するだけの参観者が参加できます。 立会人は開票が公平かつ正当に行われることを監視したり、問題票の取り扱い方法を選挙管理員会と一緒に検討したりする役目の人です。 今回の選挙では、23人の各候補者から申請された23名の中から、抽選で10名が選出されました。

立会人以外に、各候補者ごとに1名分の参観者証明書が発行されます。 そしてこの証明書を提示すれば、誰でも開票会場に入って開票の様子を傍観することができます。 立会人は得票数が確定し、開票が全て終了するまで開票会場から出られませんが、参観者は証明書を提示すれば自由に出入りできます。 このため、開票速報を各候補者の選挙事務所に知らせるのは、この参観者の役目です。 ただし開票会場では携帯電話を使用できないので、会場の外に連絡係を待機させておき、参観者は適当に会場から出て開票の様子を連絡係に知らせます。

今回の選挙では、僕等の陣営は立会人の抽選にはずれたので、立会人はなく参観者だけでした。 この参観者役と連絡係はあらかじめ担当者を決めましたが、どうしても開票の様子を見学したかったので、我がままをいって、僕も最初だけ参観させてもらうことにしました。 スタッフの担当を決めると、選挙幹部も選挙速報会と打ち上げ会の準備を手伝いました。 そして候補者のRさんは自宅に戻り、こちらから連絡を入れるまで待機することになりました。

今回の選挙の投票終了は午後8時であり、開票は午後8時55分からでした。 しかし午後7時頃には、気の早い支持者がちらほらと事務所にやってきました。 そしてスタッフも支持者も期待と不安で興奮していて、詰めかけてくる支持者が増えるにつれて、事務所は一種独特の異様な雰囲気になってきました。

僕は選挙速報会と打ち上げ会の準備をそこそこにして、午後8時30分頃には、連絡係の人と一緒に町役場の隣の開票会場に駆けつけました。 会場には他の陣営の連絡係の人達も詰めかけていて、そこも一種独特の雰囲気に包まれていました。 その人達の中に区長時代の顔馴染みの人がいたので、会場が開かれるのを待つ間、その人達と選挙結果の予想話に花を咲かせました。 本来なら呉越同舟という感じですが、お互いに妙な仲間意識というか連帯感があって、けっこう和気藹々とした雰囲気です。

しばらく待たされた後、町役場の人が会場の扉を開けて参観者を中に入れてくれました。 会場には開票担当の町役場職員、選挙長、選挙管理委員会の委員、問題票検討委員会の委員、そして立会人がいて、会場の入り口付近に参観者用の机と腰掛が用意されていました。 当然のことながら、参観者は無言でいなければなりませんし、携帯電話などは持ち込めません。 このため開票がある程度進んだところで会場の外に出て、外で待っている別の担当者と参観役を代わります。 そして携帯電話や公衆電話で、開票状況を選挙事務所に連絡するのです。

開票を始める前に開票進行係の職員が立会人の確認をし、開票手順を簡単に説明しました。 開票は投票所別に集計するのかと思っていたら、投票箱から票を出した後、立会人がそれらを適当にかき混ぜ、混ぜ合わせた後で職員が読み取り機にかけました。 読み取り機で読み取れなかった票は、担当の職員が読み取り、人間でも読み取れなかったものや、書かれた氏名が曖昧なものは問題票検討委員に回されます。 問題票検討委員はその票の取り扱い案を検討し、立会人の承認を得て最終的な取り 扱いを決定します。

今回は、不在者投票をしていたにもかかわらず、実際の投票日にも投票をしたものが1票ありました。 これは本人の確認、筆跡の確認等を行って、2重投票であることが確認されました。 そして当日投票は不受理票扱いし、不在者投票の方が有効になりました。 この場合はどちらも同じ人に投票していたので、問題は少なかったようです。 でももし違う人に投票していたとしたら、そしてそのどちらかの候補者陣営の立会人がいたとしたら、もう少しややこしい問題になったことでしょう。

それから同姓の候補者が2人いて、性だけ書かれた票が何票かありました。 それらは問題票以外の票が集計された後に、2人の票の割合で比例配分されました。 このため2人の最終的な確定票は、「561.549」などといった小数点以下を含む値になっています。 こういった場合の票の取り扱いは選挙管理委員会によって異なり、ある地方では2人の得票数とは無関係に等分に分配するそうです。 でも理論的に考えると、2人の票の割合で比例配分する方が合理的です。 ちなみに前回の町長選挙では、「町長」と書かれた票が300票くらいあったそうです。 これはもちろん「現町長」の意味でしょうが、当然、無効票扱いされたそうです。

読み取りの終わった票は、町役場の人が候補者ごとにまとめて束にします。 そしてその束がある程度まとまったところで、中間報告として発表します。 最近は機械で票を読み取るので、開票作業が速くなり中間報告の回数が減ったそうです。 僕は、できれば最初の中間報告までは参観していたかったのですが、残念ながらなかなか中間報告がありません。 そこで30分ほど参観してから本来の参観係のスタッフと交代し、選挙事務所に戻りました。