玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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話がわき道にそれますが、ここでA地区の政教分離の経緯について少し説明しておきましょう。 第2次世界大戦前、A地区では町内会組織と地元神社の氏子組織が同じものでした。 そして町内会組織の代表が総代で、氏子組織の代表が氏子総代、そして両者を行政側から統括管理する役目が、現在の区長の前身である「村議員」でした。 これはA地区だけでなく、T町のどこの地区でもほとんど同じでした。

それが、戦後のGHQによる町内会組織の解体と神道の一般宗教法人化により、町内会は任意団体である自治会になり、氏子組織は氏子会としてそれぞれ独立した組織になりました……というか、なるはずでした。 ところがそういったことをはっきりと理解した人はあまりおらず、どこの地区でも住民の意識は戦前とほとんど変わりませんでした。 その結果、自治会と氏子会と特別公務員である区長の関係はほどとん変わらず、戦前の三位一体組織をそのままズルズルと慣習的に継続してしまったのです。

しかしA地区は例外的に革新的なリーダーが多く、1961年(昭和36年)に伊勢湾台風の被害を受けたことを契機にして、地区の近代化が推進され、自治会会計と氏子会会計を分離して建前上は政教分離を行いました。 ところが住民の意識改革が徹底されなかったため、表向きの会計を別にしただけで政教分離は完全には行われず、残念ながら内情は相変わらず三位一体に近いものでした。

そのことを知った僕は、A地区の先達が始めた政教分離政策を引き継ぎ、政教分離を完遂することにしました。 政教分離は組織と経費の両面を考慮して行いました。 まず第2章で説明したように、それまで混同されていた自治会総会と氏子総会を分離し、自治会総会は3月末に、氏子総会は2月の春祭りの後に行うことにしました。 そして、総会の後に行われていた懇親会を氏子総会の後だけに行うことにし、自治会総会の後は何も行わないことにしました。

総会の費用は自治会会計と氏子会計の両方から賄っていましたが、両者を分離したことにより、それぞれの総会はそれぞれの会計だけから賄うことになりました。 総会の費用といっても大部分は懇親会の費用であり、だいたい20〜30万円ほどかかっていました。 それが、まるまる氏子会計の負担になったわけです。 また秋には恒例の大祭があり、この費用についても自治会は10〜20万円ほど負担していました。 さらに神社関係の建物や什器の修繕費についても、必要に応じて自治会から補助金が出ていました。 これらの負担金や補助金も、非情にも全て中止することにしました。 それらを合計すると、政教分離により、だいたい年額50万円ほどの金額が自治会会計負担から氏子会計負担に移行することになります。

一方、氏子会の収入は、氏子から集める神社費という名の会費と、賽銭、有志からの寄付金、そして大祭の時に奉納される華代が主なものです。 神社費はA地区では一戸当たり500円であり、だいたい200戸分つまり年額10万円程度集まります。 また賽銭と寄付金は、だいたい年額数万円程度です。

華代については少し説明が必要でしょう。 A地区では、大祭の時に文化財保存会と子供会に協力してもらい、地区の伝統芸能である神楽太鼓を神社に奉納し、それから神楽太鼓を披露しながら山車を引いて地区全域を練り歩きます。 これは地区の文化財と伝統芸能を地区住民に披露すると同時に、「華代」という名の奉納金を回収するのが目的です。 この時の華代が──当時は長期的に減少傾向でしたが──だいたい100万円ほど集まります。 これを氏子会と文化財保存会と子供会で話し合って分配するわけですが、大雑把にいって3分の1ずつ山分けにします。

したがって、氏子会の総収入はだいたい年額40〜50万円程度になります。 ここから神主への謝礼(スズメの涙程度の金額です)、祭祀の費用、神社の維持管理費、氏子会の運営費等を捻出します。 ちなみに、氏子総代などは無料奉仕と宗教法人法で決められているので、人件費は原則として神主への謝礼だけです。 政教分離すると、ここに総収入と同程度の負担金が増えるわけですから、氏子総代さん達がうろたえて、政教分離に大反対することは火を見るよりも明らかでした。

そこで僕は、氏子会が華代を全額取ることによって負担増を補い、文化財保存会と子供会の華代分は、自治会からの補助金の増額で補填するという方策を提案しました。 つまり、自治会から氏子会に渡していた補助金を文化財保存会と子供会に回し、氏子会は自治会からの補助金削除分を華代で補填するという三角やり取り論法です。

文化財保存会と子供会は氏子会とは無関係な任意団体ですから、自治会から補助金を出しても何の問題もありません。 したがって、これで政教分離が実現できることになります。 また華代は神社への奉納金ですから、氏子会が全額取っても何の問題もありません。 そして差し引きすると自治会の負担分が10万円ほど増え、その分だけ氏子会の収入が増えることになります。 このため、氏子会にとっては文句のつけようがない方策のはずです。 また文化財保存会と子供会にとっても、収入額が不安定で今後も減収傾向が続くと思われる華代よりも、収入額が保証されている自治会の補助金の方がありがたいのはいうまでもありません。

自治会の収入源は主として自治会費であり、1戸当たり年額8400円(月額700円)程度です。 A地区は新興住宅が急増していて、その当時は700戸以上あったため、自治会の総収入は600万円ほどありました。 しかし収入に比べて支出の方はそれほど急増していないため、毎年100万円近い残金が出ていました。 そして僕が区長になった時には、繰越金が何と500万円以上ありました。 この繰越金と残金を何とかしようと、繰越金を災害時などのための積立金にして、一般会計とは別枠の特別会計にし、毎年の残金の中から毎年50万円程度を積立金に繰り入れることにしました。 そして文化財保存会と子供会の補助金増額に合わせて、他の任意団体の補助金も増額し、会計上は残金を0円にするような予算を立てました。

このような規模の大きい自治会会計全体から見れば、政教分離による差し引き10万円程度の増加はそれほど大したものではありません。 そして文化財保存会も子供会もその他の任意団体も全て補助金が増額され、氏子会も収入が増えるわけですから、誰も政教分離に反対する理由がなく、この案は総会で比較的すんなりと承認されました。

しかし氏子組織と自治会組織の分離は、会計ほどすんなりとはいきませんでした。 氏子会は自治会ほどはっきり組織されておらず、構造的かつ恒久的な組織はありませんでした。 ただ、地家の人達が相談して決める氏子総代と、氏子総代を補助し、祭祀や総会などの実務を執り行う役目として、年番組とその代表の年番長がいるだけです。 A地区は1組から5組までの小地区に分けられていて、その5つの組が順番で年番組になり、組の中から年番長を選出します。 ただしこの年番組は祭祀や総会などを執り行うだけで、神社費の徴収や、神符(熱田神宮と伊勢神宮の御札)の販売と配布などの営業活動は行いません。

このため従来は、それらの活動は自治会の常任委員会である班長会に依頼され、班長が行っていました。 これを自治会から分離するために、建前上は自治会としてはその依頼を受諾しないことにしました。 そして氏子総代さん達に、氏子会で班長会と同じような組織を作り、その人達にそのような活動を行ってもらうようにして欲しいと依頼しました。 ただしその組織が確立するまでの間は、氏子総代が個人的に班長にその活動を依頼し、班長が個人的にそれを引き受けることはかまわないし、例えば班の住民の総意で、宗教上などの特別な理由がない限り、自治会の班長になった人が氏子会の班長も兼任するということを取り決めても、それはそれでかまわないと進言しました。

しかし、残念ながらその後も氏子会の班長会は組織されず、建前上は氏子総代が個人的に班長に氏子会の仕事を依頼し、班長は不都合が無い限り個人的にそれを引き受けるという形を取っています。

また従来は年番組から年番長以外に区長と自治会役員も選出していて、自治会と氏子会が混同されていました。 これを明確に区別するために、年番組と年番長は氏子会の慣習であることをはっきりさせて、これは従来どおり年番制のままにし、区長と自治会長は別々の人が担当することにし、区長は地区住民全員を対象にした立候補制に、自治会長は自治会会員全員を対象にした立候補制にするという改革案を提案しました。

そして立候補者が複数いた時は、各組の代表者と、地区の任意団体の代表者が役員選出委員会を組織し、その委員会が主催する選挙によって、区長または自治会長を選出する、ということにしました。 反対に立候補者がいない時——おそらく90%以上の確率でこうなると予想していましたが——は、役員選出委員会が、前年度役員の中から、あるいは全住民または全自治会会員の中から区長または自治会長を選出する、ということにしました。

僕の本音としては、建前上は区長と自治会長は民主的な立候補制にしておき、その実、区長と自治会長以外の前年度役員の中から両者を選出するのが最も良いと思っていました。 毎年毎年、役員が総入れ替えになり、全員が役員未経験者であるというのは、どう考えても効率的ではなく非合理です。 昔からの地家の住民は別にして、右も左もわからない僕のような新興住宅の住民にいきなり区長や自治会長をやれというのは、新入社員にいきなり社長をやれというようなもので、うまくできるはずがありません。 1年間役員を経験すれば大体のところはわかりますし、役員の性格や能力もわかります。 このため、前年度役員の中から区長と自治会長を選出するのが最も合理的ではないかと考えたのです。

さらにその案に加えて、戸数がその時の半分だった時から変わっていない役員の定員を、戸数の増加に応じて倍増し、年番組からではなく各組から均等に選出するという案も付け加えました。 役員の定数が現在のように決められた頃は、役員1人当たりだいたい100戸ほどの戸数を担当していました。 しかし戸数の急増によって、その時は200戸以上の戸数を担当することになっていて、役員の負担が非常に大きくなっていました。 他の地区では役員1人当たり50戸程度しか担当しておらず、区長の担当戸数がT町で一番多いことと同様に、役員1人当たりの担当戸数もダントツの一番でした。 また全役員が同じ組から選出されるため、全ての組を平等にフォローすることが難しく、色々な面で不公平感が生じがちになっていました。

役員を経験した人はそのことが身にしみてわかるので、毎年、年度末になると、次年度役員への申し送り事項の中に、

「来年こそは、役員の定員を増やして欲しい!」

という項目がたいてい入ります。 しかしそのことが身にしみて理解できるのは、役員を1年間務めた後なのです。 そして役員を一度でも務めたら、たいていはそれでお役御免です。 このため、将来的に役員をやる可能性の少ない人が役員の増員を提案するのは、反発を招く懸念があり、申し送り事項を実現する人はなかなか現れなかったのです。

そこで僕はその改革案を自ら実行し、年番制という従来の慣習を破ったという前例を作るために、次年度の区長に僕自身が立候補するという案も合わせて提案しました。 ただしいくら能天気な僕でも、この改革案が素直に承認されるとは思っていませんでした。 そこで1年目の総会では、僕が次年度区長に立候補するという案以外は試案ということにしておき、この試案をたたき台にして正式な改革案を作成するために、各組の代表者と、任意団体の代表者と、自治会の役員で構成する「役員制度検討委員会」を設立する、という案を提出しました。

それらの案は意外にすんなりと承認され、次年度も僕が区長と自治会長を兼任し、役員制度検討委員会も設立することになりました。 そしてその委員会で試案を細部まで検討して正式な委員会案にし、2年目の総会に提出しました。 しかしそれだけの準備をしたにもかかわらず、改革案については賛否両論入り乱れる大変な議論になり、結論がなかなか出ませんでした。 役員制度検討委員会は一応は全住民の代表であり、全員が総会の参加メンバーにもなっていたので、強行に採決すれば承認される可能性は高かったと思います。 しかしこの改革案は、全ての住民がある程度納得していなければスムーズに実施できません。 そしてこの改革案をきっかけにして、自治会に対する住民の意識を改革したいというのが僕の本当の目的でした。

ところが議論の内容を聞いていると、単なる我がままで反対してみたり、反対のための反対だったりして、住民の意識改革はまだまだ不十分であり、このまま改革案を実施してもうまくいかない可能性が高いのではないか、という気が強くしました。 そこで、まだ議論が十分に尽くされていないということで、次年度以降の継続審議にしました。 そしてそれから2年経ち、僕が自治会から手を引いた後は、残念ながらうやむやになってしまいました。

従来の年番制では、個人が役員に選出される危険性は5年に1回巡ってくるだけであり、役員適齢期をうまくやり過ごせば、役員を一度もやらずに済む可能性があります。 そして運悪く役員をやることになっても、1年間我慢すればそれでお役御免になります。 ところが改革案が承認されると、毎年毎年、どの組の人も役員に選出される危険性が平等にあり、しかもその確率が倍増します。 その上、役員に選出されると、下手をすれば次年度は区長か自治会長という大変な役を務めなければなりません。 これは誰にとっても非常にうっとおしくて面倒なことなので、素直に賛成できないのも無理はありません。

しかし第1章で説明したように、T町の人口密度が都会並になり、町の税収入が都会並にならない限り、T町で都会並みに快適に暮らすには、本来は行政が行うべき行政サービスの一部を住民が負担することは止むを得ないことであり、区長や自治会役員の負担が大きくなるのは致し方の無いことです。 「自分達の生活は自分達で守る」というのが、こういった土地で暮らしていくための基本的なスタンスなのです。

それならば、自分達の生活を守るために必要な仕事を、できるだけ大勢の住民で公平に分担して一人一人の負担を減らし、それと同時に、役員の中に経験者を残すことによってその仕事がスムーズにいくようにしたいと、僕を含めた改革派の人達は考えたのです。 そしてさらに、改革案をきっかけにして、自治会に対する住民の意識そのものを改革したいというお節介で有難迷惑なことを、よせばいいのに僕は考えてしまったのです。

そういう改革案の趣旨は、誰でもたいてい頭では理解してくれます。 しかし、いざ実際に自分に役員の危険性が降りかかるとなると、大半の人は猛反対するのです。 そのくせ、

「では役員の負担を減らし、自治会がスムーズに運営できるような代案はありますか?」

と聞くと、

「それは町の役人か、地区の顔役の人達が考えることだ」

といって逃げるのです。

反対するだけでは、子供が駄々をこねているのと同じで、何ら問題解決にはならない、代案を提出し、両者を客観的に比較しながら議論してこそ問題解決に近づく、という基本的なことを、いい大人がわかっていないはずはないと思います。 しかし事が自治会のようなボランティア活動のことになる、どうしても自分勝手で我がままになってしまうようです。 そういったジコチューな人は、区長をやる前の僕を代表として、やはり新興住宅の住民の中に多く存在しました。

ただ全てがジコチューに起因するというわけではなく、この土地では、行政サービスの一部を自治会が肩代わりしていて、道路の整備、歩道橋の整備、防犯灯の整備、消火用具の整備、排水路の整備、公園の整備、ゴミの収集と整理、公民館の建設と運営、その他生活に密着したモロモロのことを、全て自治会の役員が中心になって行っているということを知らずに、自治会は地家の人達を中心にした単なる親睦団体にすぎず、自分とはあまり関係のないものと思って、無関心でいることも大きな要因です。

誰でも面倒なことをやるのは嫌で、誰か他の人がそれをやってくれ、自分が快適に暮らすことができればそれが一番です。 しかし自然が豊富に残っていて人口密度が低く、古来からの珍しくて美しい風習と、それに伴う古い慣習と因習が色濃く残っていて、人情が厚くて住民同士の交流が盛んで、それ故に周囲の人達とのシガラミも強い土地で暮らすには、実はそれなりの覚悟が必要であり、快適に暮らすために、みんなで協力して色々と面倒な義務を果たさなければならないのです。

全くもって面倒で、うっとおしくて、うざったくて、本当は大っ嫌いなんだけど、そうとは知らずに家を買っちゃったんだからしゃーないもんね〜っ!p(ToT)