玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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ともあれ、改革派の人達が作成した自治会改革案に感銘を受け、その人達と大いに意気投合した僕は、意を強くして自治会の改革を推し進めることにしました。 ただし、土地柄に合った昔ながらの運営方法の利点もある程度は理解できたので、反対派の人達も巻き込み、両方の意見を取り入れて折衷案的な改革方針を検討することにしました。 無関心派から180度転向した僕は、改革派の人達にも反対派の人達にも心情的なシンパシィを感じていて、できればどちらもが納得できるような道を見つけたかったのです。

またそういった人達以外にも、誰も引き受けたがらない面倒な役目や損な役を黙って引き受け、必要な時以外は決して目立とうとせず、世のため人のために黙々と努力している尊敬すべき人達がいることを知りました。 そのような人達や改革派の人達の中で、幸運にも人生の師と呼べるような2人の人物——Oさん(仮名)とHさん(仮名)と知り合うことができ、自治会関係だけでなく、色々な事柄について教えを受けました。 そしてその2人にすっかり心酔してしまった僕は、このT町に長年住んでいながら、町の状況も、そこに住む人達も全く見ようとしていなかった自分を大いに反省し、区長の仕事にますますのめり込みました。

そのうちに、自治会の改革をするには1年間ではとても無理だということがわかってきました。 そこで乗りかかった船とばかりに、本当ならば1年でお役御免のところを、わざわざ自分から立候補して次の年も区長を続けることにしました。 また行きがけの駄賃に、やはり前時代的な運営をしていた小学校区区長連合とコミュニティ推進協議会の改革も行おうと決意し、2年目は区長連合の会長と、コミュニティ推進協議会の会長も兼任することにしました。 それによって僕は地元である程度有名になり、とんでもない誤解をされることになりました。

地元のA地区は全体を5つの組に小区分していて、組ごとに役員を持ち回る年番制が慣習になっていました。 このため2期続けて役員を務めた人は、古い時代の地家の人を除けば、僕以前にはいませんでした。 その慣習に無理矢理逆らってまで区長を続け、しかもめったやたらと忙しくて誰もやりたがらない区長会長までやろうというのですから、よっぽどの物好きか、それとも何か悪しき野心を抱いているのだろうと思われたのも無理はありません。 僕と個人的に親しくなった人達は、僕がよっぽどの物好きであることを徐々に理解し始めていました。 しかし大半の人達は、僕が悪しき野心を抱いている、つまり現町会議員の後釜として次期町会議員の座を狙っていると思ってしまったようです。

実際、町会議員の多くが区長を経て町会議員になっていて、自分から区長会長までやろうというような人は、たいてい後に町会議員に立候補したそうです。 このため、僕が周囲からそう思われてしまったのも無理からぬことです。 それどころか、町会議員選挙から2年後に町長選挙があったのですが、その時には、僕が町長選に立候補するというとんでもない噂まで飛び交っていたようです。 知人からその噂の真偽を尋ねられた僕とカミさんは、驚きを通り越して2人で大笑いしてしまいました。

区長の仕事にのめり込んでいた僕は、そんな噂を助長するかのように、他の地区の町会議員や町長はもちろんのこと、県会議員や地方政界の黒幕的な政治家、さらにその後援会役員とも積極的に面談して情報収集に努めました。 それから、これはさすがに人には話しませんでしたが、町会議員のMさんに連れられて現町長派の人達の会合に顔を出す一方で、その反対勢力である元町長派の人達の会合にも顔を出し、少数派である社民党の町会議員とも面識を深め、やはり少数派である共産党議員団が主催する色々な勉強会にも参加しました。

A地区の人達は律儀で真正直な人が多く、反対勢力の会合や共産党の会合に出るなどということは考えもしません。 このため、僕がそのように色々な派閥の人達と付き合っていることは、現町長派の人達にも反町長派の人達にも知られていませんでした。 このためどちらの派閥の人達からも仲間と思われ、色々な情報を入手することができました。

例の落選した新人候補のSさんや、その後援会の人達とももちろん付き合い、後援会の人達とはある程度意気投合しました。 しかしSさん当人からはかなり警戒され、噂の真偽について痛くもない腹を色々と探られました。 しかしいちいち噂を否定するのが面倒だったことと、次回の町会議員選挙ではSさんに立候補して欲しくなかったので、それとなく牽制する意味で、あえて噂を肯定も否定もせずにおきました。 このあたりの権謀術数と腹黒さは、悪徳窓際幽霊社員だった僕の面目躍如たるところであり、我ながら良からぬ噂が立つのも致し方ないと思います。

そもそも区長は地区の住民全部の代表であり、建前上は不偏不党であるべきです。 したがって僕のそういった八方美人的な行動は、本来、誰はばかるものではありません。 そして能天気で単純な僕は、区長たるもの、できるだけ多くの人の意見を聞き、地区住民の考えや地区の状況をできるだけ広く把握しておくべきであると考えていたので、色々な人達や色々な派閥の政治家と平等に付き合い、情報収集に努めるのは当然と思っていました。

しかし区長と違って、政治家は基本的に親分子分の関係です。 このため子分は、たとえ内心不満があっても親分の意見に全面的に従い、たとえ内心は反対でも派閥が決めたことには全面的に従います。 これは会社などの組織でも同様です。 そのように統率されていなければ組織を維持することはできず、組織力を発揮することができないので、それはある程度いたし方の無いことでしょう。

また地家の人達が昔から営んできた農村は運命共同体的な色合いが濃く、「村八分」という言葉に象徴されるように、やはり基本的に組織として行動することが重要になります。 このためそういった人達の目には、僕の八方美人的な行動は道義に反するように見えるだろうと考え、わざわざ波風を立てることもないので、自分の行動のことを人には話しませんでした。

政治家が親分子分の関係であることは何となく知っていましたが、実際に政治家と付き合ってみて、あらためてそれを実感しました。 例えば、地方政界の黒幕的な政治家の家を訪問した時のことです。 まず来客専用の待合室に通され、そこで順番待ちをしました。 政治家は来客が多いので、たいてい自宅に専用の応接室があります。 そして大物政治家になると、来客がひっきりなしに来るので謁見の間と待合の間が分かれているのです。

その待合室には若い男の秘書が控えていて、来客者を効率良くさばいていました。 仕事柄、医学部の大学教授を訪問したことが何度もありますので、僕はそういったことにはある程度慣れているつもりでした。 しかしそこは事務所ではなく自宅であり、その秘書がまるで昔の書生のような風情だったので、まさに住み込みの弟子か子分という感じで、仕事で知っている医学世界の秘書とはかなり違っていました。

実際、その政治家の弟子である県会議員は、若い頃に住み込みの鞄持ちから始め、秘書を経て県会議員になったので、その政治家のことを「オヤジさん」と呼んで慕っていました。 その麗しき師弟関係は確かに日本の伝統的な師弟関係そのものですが、何しろ役者が役者で、やっていることがやっていることですから、師匠と弟子の関係というよりも親分と子分の関係そのものです。

また正月には、各地区の役員などが、町長を始めとする有力政治家のところに年始回りに行きます。 その大物政治家と県会議員は自民党愛知県支部の幹部であり、正月には党の支部事務所にいるので、僕もA地区の町会議員や長老達と一緒に事務所に年始回りに行きました。 唯我独尊で天邪鬼な僕はそういった風習が嫌いで、個人的に年始回りをしたことは一度もなく、仕事で得意先の年始回りをすることさえなるべく避けていました。 しかしこの時は仕事と割り切っていたので、抵抗はあまりありませんでした。

その事務所には正月の早朝から正装した人達がゾロゾロと詰めかけ、堅苦しく挨拶を交わし合っていました。 事務所の前には来客帳が何冊も揃えてあり、訪問客はそこで氏名と住所を記帳してから事務所に入ります。そしてその周囲には秘書らしき人が何人もいて、訪問客をさばいています。 その人達も訪問客も全員が黒い礼服を着ているので、その様子はまるで葬式の受付のようで、実に壮観というか滑稽というか、そういったことに価値を全く見い出せない僕のような人間にはとにかく笑える光景でした。

事務所に入ると正面中央に腰掛があり、そこに例の大物政治家が座っていて、隣に県会議員が立っています。 その両脇には屈強な男達がボディガードのように立って周囲に目を光らせ、その前には接見順を待つ大勢の訪問客が長い列を作って並んでいます。 接見そのものはほんの一言二言挨拶を交わすだけですぐ終わり、本当にあっけないものです。 しかし来客帳に記帳するので、どこの誰が挨拶に来て誰が来なかったかはちゃんとチェックできるようになっています。 そしてその大物政治家は訪問客をいちいち覚えていて、頭の中のエンマ帳にしっかり書き込んでいるそうです。

これは親分にとっては子分の忠誠心を確認し、自分の縄張りを確認するための大切な儀式であり、子分にとっては親分に忠誠心を示すための大切な儀式です。 このため挨拶回りは重要かつ名誉な役目とされていて、どの地区でも町会議員とか後援会役員とか自治会役員といった、地区を代表する重要人物(と自分で思っている人(^^;))が務めます。 そしてその地区代表者達が地区に帰って来ると、今度はその人達のところにその他モロモロの人達が挨拶回りにやって来て、小親分のご機嫌伺いをすると同時に大親分のご様子をお聞きするという、見事に封建的な構造になっているのです。

そういった光景を眺めながら、サラリーマンの世界であろうと、医者の世界であろうと、政治家の世界であろうと、ヤクザの世界であろうと、とにかくどこの世界でも日本人という種族は今も昔もまるで変わらないもんだと、つくづく嘆息してしまいました。 天邪鬼で唯我独尊な僕は、親分子分の関係や、体育会的な上下関係が全く肌に合いません。 そしてそれらの関係に必ず付随する組織と、組織が持つ非人間的な臭いが大嫌いであり、組織の中にあっても敢えて人と違う行動を取りたがります。 その人と違う行動を取りたがった結果、区長になってそのような世界に踏み込むことになったのですから、考えてみれば皮肉なことではあります。

町長宅への年始回りも大体似たような内容ですが、こちらは訪問客が町内の人間だけで、しかもほとんどが顔見知りですから、比較的和気あいあいとした雰囲気です。 訪問客をさばくのは町長の家族と後援会の幹部であり、黒服の秘書も屈強なボディガードもいません。 また大物政治家の事務所では帰りに暖かい缶コーヒーをもらうだけでしたが、町長宅にはお屠蘇と御節料理が用意してあります。 そして訪問客がある程度の人数になると、町長が短い挨拶をし、後援会会長の音頭で乾杯した後、お屠蘇と御節料理をいただきながら町長や顔見知りと挨拶を交わし合います。

各地区の町会議員宅でも、だいたい似たような内容の年始祝いが行われます。 そして縄張りが狭くなればなるほど訪問客も少なくしかも身内ばかりになり、家族的で普通の年始祝いに近くなります。 いってみれば、大物政治家の事務所への年始回りが、広域暴力団○○組系の大親分への接見の儀といった感じなのに対し、こちらは○○組系傍流××組が身内だけで行う年始祝いといった感じです。

こういった年始祝いでは、町長宅でも町会議員宅でも、大勢の訪問客の世話をする家族の人達の苦労は並大抵ではありません。 僕が知り合った地方政治家には、尊敬すべき立派な人から、とんでもなく悪どい人まで色々な人がいました。 しかし家族は、ほとんどがごく普通の人達でした。 そしてたいていは、次の選挙には立候補しないで欲しい、できるだけ早く引退して、家族と一緒に静かにゆっくりすごして欲しいと願っていて、政治家の体調のことを心配している人も沢山いました。

実際、早朝から深夜までのべつまくなしに訪問客があり、公私の区別なく色々な相談を受け、家族や友人を否応なく巻き込んで権力闘争に明け暮れる政治家という稼業は、本当に因果な稼業です。 崇高な使命感や強欲な権力欲にかられた政治家本人は仕方ないとして、それに巻き込まれる家族は大変です。

今回の町会議員選挙が無事に終わった後、ついに引退することになった現町会議員Mさんの奥さんが、当選祝いに沸き立つ人達を眺めながら、選挙事務所の片隅でひとりたたずんでいたので、

「これでようやく安心して引退できますね、長い間ご苦労様でした」

と声をかけると、

「ほんと、これでようやっと肩の荷を下ろして、普通の百姓のおじさんとおばさんに戻れるわなぁ……」

と心底ほっとしたように微笑みました。 今回の選挙で一番喜んだ人は間違いなくMさんの家族であり、一番苦労した人は、これも間違いなく当選した新町会議員Rさんの家族でしょう。