玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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その予想もしていなかった展開とは、女性議員のJさんが立候補しないことを知った反Mさん派と反町長派の人達が、Sさんをあきらめて別の候補者を擁立することにし、その候補者が、反Mさん派の人達の中で僕が一番親しくしていたIさん(仮名)だったのです。

Iさんは地家の人ですが、僕とほぼ同じ年齢であり、A地区の消防団で同期だったので以前からよく知っていました。 しかもIさんは僕よりも前に区長を経験していたので、僕が区長になった時に色々なことを教えてもらい、その後も何かあるたびにお互いに相談し合っていました。 Iさんは地家の人の中では最も革新的な考えの持ち主であり、僕以前に自治会の改革を進めてきた改革派のひとりでした。 このため僕とは気が合い、僕が推し進めた自治会改革を支持して何かと協力してくれ、第2章で説明した自治会制度検討委員会のメンバーにも入ってもらいました。 そして皮肉なことに、その自治会制度検討委員会ではこのIさんが地家側改革派の最右翼的存在であり、今回立候補することになったRさんが新興住宅側改革派の最右翼的存在だったのです。

Iさんは僕以上に反骨精神旺盛であり、しかも一本気でラジカルな性格のため、こうと思い込んだら猪突猛進するところがありました。 このため、地家の保守的な人達とたびたび対立していました。 第1章で説明したように、A地区のMさん派と反Mさん派の対立は、T町の現町長派と元町長派の勢力争いの一部であり、現町長派と元町長派の対立は、実はG郡の自民党二大巨頭のA氏派とB氏派の勢力争いの一部です。 したがって本質的には保守同士の派閥争いであり、保守対革新の争いではありません。

このためIさんは、基本的にはMさん派の人達とも反Mさん派の人達とも対立していました。 しかし本来が一匹狼的な性格で派閥争いには関心がないので、時と場合によってMさん派に協力したり、反Mさん派に協力したり、時には革新系の人達に協力したりしていました。 それが、僕が区長を辞めて自治会の事務局を始めた年に起こったある事件により、反町長という立場を明確にして、反Mさん派や元町長派と一緒に過激な行動を取るようになっていました。 そのある事件とは、A地区の土木工事に関連して、町長が自治会に圧力をかけたことによって裁判沙汰にまでなった事件です。

僕が区長を辞めて自治会の事務局を始めた年に、Iさんの発案で、区長と区長経験者10名ほどが発起人になって、町が行う公的土木工事に関して、住民の署名付き要望書を町役場に提出しようとしたことがありました。 その要望書は、公的土木工事の一部に、町で規定された土木工事の優先順位と矛盾するようなものがあると思われるので、住民が納得するような公正な土木工事を行って欲しいという内容でした。 要望書にははっきり書いてありませんでしたが、町長をはじめとする町の有力者の地元地区の土木工事が優先され、A地区のように町の有力者がいない地区の土木工事が後回しにされていることは公然の事実であり、A地区の住民や区長経験者は常々不満に思っていました。 そのためこの要望書には僕を含めて多くの区長経験者が賛同し、発起人に名を連ねました。

そして自治会の役員会の賛同を得て、要望書を地区に回覧し始めた翌日の夜中の11時頃、突然、僕の家に町長から電話がかかってきました。 間が悪いことに、たまたま翌年に町長選挙が予定されていたので、その要望書を見たA地区の現町長派幹部が、よせばいいのにそのコピーを持って町長に御注進におよんだらしいのです。 町長選対策で神経を尖らせていた町長は、慌てて要望書に名を連ねた区長と区長経験者に電話をかけ、要望書を撤収させようと圧力をかけたのです。

僕は町長からは現町長派と思われていたため、

「これは元町長派と共産党が仕組んだ根も葉もない中傷工作だ、こんな選挙妨害に加担するとは何事だ! 早く撤収しないと選挙違反で大変なことになるぞ!」

と、えらい剣幕で怒られました。 このあまりに低レベルな馬鹿げた横槍に、僕は腹が立つよりもむしろ呆れてしまい、

「とにかく事実関係を調べてから、それなりの対策を考えることにします。 今日はもう夜遅いので、明日の朝一番に調査しましょう」

と、相手が冷静になるまで時間稼ぎをすることにしました。

冷静になってよく考えれば、すでに要望書を回覧しているので、無理に撤収しようとすれば、かえって薮蛇になって騒ぎがよけい大きくなりかねない上に、いくら自治会が要望書を撤収したところで、発起人に名を連ねた人の中の元町長派の人が、個人的に要望書を提出することまで止めるのは不可能なことぐらいは理解できるだろうと思ったのです。 ところが情けないことに、その程度のことも理解できない人達が、町長とその取り巻き連中だけでなく、地元のA地区にもいたのです。

翌日、会社に出勤していた僕の携帯電話に、現区長から、その日の夜、要望書のことで緊急役員会を開くことにしたから、会社から帰ったら何とか出席して欲しいという連絡が入りました。 要望書に署名した区長経験者の中の、現町長派またはそれに近い区長経験者の家にも町長から同じような電話がかかってきていて、町長の剣幕に驚いたその人達の中の何人かが、要望書を撤収するよう現区長に忠告したのです。

それを聞いた現区長と自治会執行部の人達はすっかりびびってしまい、要望書を撤収するために緊急役員会を開くことにしました。 本当は、事務局であり、前区長でもある僕に対応策を相談したかったらしいのですが、僕はすでに会社に出勤していました。 そこで仕方なく地元にいた自治会執行部の人達だけで対応策を相談し、緊急役員会を開くことにしたとのことでした。 その夜の緊急役員会は大荒れに荒れて結論が出せず、それから数日間、自治会とA地区は大騒ぎになりました。 そしてすったもんだの挙句に、自治会は回覧されていた要望書を撤収することになり、それに納得しない数名の区長経験者達は、自治会とは無関係な有志として住民の署名を集め、それを付けて要望書を町役場に提出しました。

しかし一本気なIさんが発案者である以上、それで事態が無事に収まるはずはありません。 Iさんは町長の横槍に激怒し、元町長派の町会議員に事の顛末をぶちまけ、それを町議会で取り上げて町長を追求してもらうと同時に、町長を相手取って自治権侵害の訴訟を起こしました。 そして「有志」のひとりであった僕は、その事件に関する証言書を裁判所に提出し、原告側の証人になる羽目になりました。

町長から電話を受けた区長経験者の中で、有志に加わったのは僕だけでした。 僕とIさん以外の有志は反町長派かそれに近い人であり、町長から電話を受けていませんでした。 しかも町長は、電話のことは内密にするように念を押していたので、有志の人達に詳しい事情を説明することができたのは僕だけだったのです。 そして電話のことを町議会や裁判で証言しても良いという人も、僕以外にはいませんでした。

実は自治会は任意団体であり、法律上の自治権はありません。 このため僕は、本音をいえばその訴訟が成り立つとは考えていませんでしたし、現区長に忠告をした区長経験者や、自治会執行部の人達の事なかれ主義的な考えもわからないではありませんでした。 また元区長会長であり、現在も自治会事務局である僕が町議会や裁判で電話のことを証言すれば、自治会執行部の人達とA地区の町長派の人達が、町長に対して困った立場に置かれるだろうということも十分わかっていました。

しかし出来の悪いTVドラマにでもありそうな、あまりに低レベルな騒ぎに僕は腹を立てていました。 そして、それを引き起こした町長とその取り巻き連中はもちろんのこと、現区長に浅はかな忠告をした区長経験者の人達にも、その忠告を聞いてびびってしまった自治会執行部の人達にも腹を立てていたので、その訴訟に協力することにしたのです。凸(-"-)

それからしばらくの間、A地区と町議会はその事件のことで大いにもめました。 しかし最終的には、町議会での追求はうやむやのままで終わってしまい、訴訟も取り下げることになりました。 僕は、町長から電話を受けたことは事実として証言できましたが、僕自身は自治会執行部の人達に何も忠告していませんでした。 また町長から電話を受けた他の区長経験者達と自治会執行部の人達は、圧力を受けたことはないと知らぬ存ぜぬを決め込んでいたので、町長が自治会に圧力をかけたことを立証できなかったのです。 その上、法律上は任意団体である自治会には自治権がないので、もし町長が電話をかけたのが事実だとしても、それは自治権侵害には相当しません。 このため、訴訟も取り下げるしかありませんでした。

この結果は、ある程度予想していたことでした。 しかしこの大騒ぎのおかげで、自治会執行部の人達と、現区長に浅はかな忠告をした区長経験者の人達は自分達の対応のまずさを反省し、町長とその取り巻き連中も自分達の軽率な行動を反省したようだったので、僕の腹の虫は多少おさまりました。

しかし発案者であるIさんの腹の虫は、その程度のことではおさまりませんでした。 翌年の町長選挙で、Iさんは反町長派の候補者の選挙運動員に志願して、現町長を猛烈に批判する運動を展開しました。 そして、その運動中に町長派の運動員と大人気ない小競り合いを起こし、今度はそれについて人身傷害と名誉毀損でお互いに相手を告訴し合いました。 実は町会議員に立候補することを決めたその時も、まだ裁判で争っている最中でした。

今回、僕がRさんの選挙運動に深入りすることをIさんに知らせた時、IさんはRさんの経歴を知っていたので、すぐに賛成して協力を約束してくれました。 しかしMさんの後援会の人達がRさんの後援会の中心になり、町長と県会議員と地元の政治団体K会の推薦を受けたと知ると、大いに批判的になりました。 そして、どうせやるならMさん派とはすっぱり縁を切り、革新的な立場を明確にして、最初から住民参加型の選挙活動を展開すべきだと忠告してくれました。 実はそれと同じ内容の忠告を、自民党系の選挙プロであるHさんからも受けました。 Hさんは個人的に僕に選挙のコーチをしてくれていたので、あくまでも個人的な立場からそのように忠告してくれたのです。

僕としても、その方針で行きたいのは山々でした。 しかし僕はMさん派の人達とも反Mさん派の人達ともある程度親しく、どちらの言い分もわかる気がしていました。 このため、できればMさん派と反Mさん派を統合すると同時に、当選を確実なものにし、当選してから徐々に住民参加型の民主的な政治活動に変えていこうという、折衷的かつ妥協的な生ぬるい方針を取ることにしたのです。 このあたりが、けっこう腹黒くて権謀術数が得意で、自分でも嫌になるほど現実的な僕と、一本気でラジカルなIさんとの違いでした。 しかし後になって僕は自分の考えの甘さを痛感し、やっぱり選挙プロの助言には素直に従った方が良かったと、つくづく後悔することになります。