玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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選挙活動中もIさんとは相変わらず親しくしていたので、Iさんは、反Mさん派と反町長派の人達から立候補を進められた時にも、最終的な決断をする前にわざわざ僕に相談してくれました。 基本的な考えが似ている僕としては、Iさんに「立候補するのはやめた方が良い」とはいえず、むしろIさんとRさんが立候補するのなら、うまくいけばA地区が2つに分裂して感情的な対立をすることなく、活発な議論ができるのではないか、2人とも当選したとしても何とかうまくやっていけるのではないかという、大海の皇子のように甘い考えが頭をかすめました。

そこで僕は、

「立候補するのは反対しないが、前回のように、A地区が2つに分裂して感情的に対立するのだけは避けたい。 だからお互いに正々堂々と冷静に議論をし、できれば2人とも当選できるように協力したい」

と申し出ました。 Iさんも全く同じ考えであり、A地区の公民館で共同の立会演説会を開催したり、自治会または住民有志が2人の候補者を招いて、公開討論会などを開催してはどうかと提案してくれました。

実はA地区の公民館は、前々回の町会議員選挙までは、Mさんが選挙事務所として利用していて、他の地区の候補者が立会演説会などに利用することはありませんでした。 これはA地区に限ったことではなく、T町では地区の公民館を選挙事務所として利用する候補者がけっこういます。 地区の公民館はほとんどが地区住民の寄付金で建てられたものであり、町が建てたわけではありません。 このため「おらが村の寄り合い所」という意識が強く、地区の利権を守るために地区代表として立候補した候補者が、選挙事務所として利用するのは当然と考えているのです。

しかしそれらの公民館のほとんどは、わずかですが町からの補助金を受けていて(例えばA地区の公民館の場合、総工費1億1千万円中、補助金はたった300万円!)、法律上は公共施設扱いになっています。 このため、そういった施設を選挙事務所として利用するのは明らかに選挙違反です。 ところが前回の選挙ではA地区から2人の立候補者が出て、どちらも公民館を選挙事務所代わりに利用したいと言い張りました。 その時の区長つまり僕の前の区長は困ってしまい、最終的にはどちらの候補者にも利用させず、立会演説会に利用することさえ禁止してしまいました。 これは、明らかに「羹に懲りて膾を吹く」という類のやりすぎです。

そこで僕が区長になってから、個人的に選挙事務所として利用することは禁止するものの、立会演説会のような公共性の高い目的に利用することは禁止せず、むしろ積極的に利用してもらえるように便宜を図り、他の地区の候補者でも利用できるように規約を明確化しました。 そして公民館を公平かつ長期的な視野で管理できるように、それまでは区長が兼任することになっていた公民館管理委員長を別の人が担当することにして、公民館管理委員会を自治会とは独立させました。

その改革のせいで、今回の選挙では地区の公民館をRさんの選挙事務所として利用できず、Mさんの後援会幹部だった人達から文句が出ました。 僕が公民館の規約を改正する時、その理由をMさんとその後援会の人達には特に詳しく説明したにもかかわらず、後援会の幹部だった人達からそういった文句が出たのには正直言って少々あきれました。 それとは対照的にIさんは、僕が規約を改正した意図をよく理解していたので、できれば2人の候補者が公平に利用できるように、共同立会演説会や公開討論会を開催してはどうかと提案してくれたのです。 その提案に僕も大いに賛成し、これからもお互いに連絡を取り合って、両陣営が感情的に対立しないように、頭の固い幹部達をうまくコントロールしようと2人で約束しました。

それから間もなく、Iさんの後援会の立看板があちこちに立ち、Iさんが立候補することをA地区のみんなが知りました。 それによって、例の金権候補Sさんが今回は立候補しないらしいという情報が流れた後、やや楽観ムードだったRさんの後援会の雰囲気は一気に緊迫しました。 何しろIさんの家は地家の中でも5本の指に入るほど有力な家柄であり、A地区に親戚や知り合いが沢山います。 そしてIさんもIさんの親も区長経験者であり、地家の人達だけでなく新興住宅の人達にもよく知られていました。 それに対してRさんは、小学校や子供会や自治会の役員こそ務めたことはありますが、区長はまだ務めたことがなく、地家の人達にはあまり知られていません。

またIさんは反Mさん派と反町長派の人達が擁立したため、Rさんの後援会に協力することになっていた反Mさん派と反町長派の一部の人達の間に動揺が起こりました。 その動揺を抑えようと、Rさんの後援会のMさん派の人達は躍起になり、目の色を変えて後援会会員の確保に努めるようになりました。 このためRさんは、会員確保のためにあちこち連れ回されることが増えて、ますます体が空かなくなり、僕がやりたかった小集会を開くような余裕はほとんどなくなってしまいました。

僕は、Iさんから連絡があったことをRさんにだけは打ち明け、公民館を公平に使用するために共同立会演説会や公開討論会を開きたいと提案を受けたので、何とかそれを実現したいと相談しました。 Rさんも、基本的には賛成してくれました。 しかし共同立会演説会や公開討論会といったものは、A地区はもちろんT町全体でも前例がなく、お互いに反発し合っている両派閥の幹部連中が難色を示す可能性が高いことが予想されるので、実現するのはかなり難しいのではないかという、悲観的かつ現実的な意見でした。 しかし僕がしつこく粘ったので、最終的には、今後のためにも良い前例を作っておきたいということで2人の意見は一致し、Mさん派の幹部連中を何とか説得してみることになりました。

その手始めとして、まず後援会の執行部の人達を説得したところ、Mさん派ではない会長のNさんと会計のDさんは比較的すんなり説得できました。 しかし顧問であるMさんと、Mさん派の中心人物である副会長のCさんは予想通り否定的であり、

「こちらが良くても相手がウンとはいわないだろうし、何が起こるかわからんので、実現するのは無理だろう」

といって、なかなか首を立てに振ろうとはしませんでした。 そこで僕は、

「僕が、何とか相手の執行部を説得してみる。 もし相手がウンといったら、公民館管理委員長と区長を交えて、両陣営の執行部で話し合いをし、お互いに問題を起こさないという紳士協定を結んだ上で開催するというのではどうか?」

と提案しました。

MさんもCさんも最初のうちは否定的でしたが、僕がしつこく食い下がったので、とりあえず僕が個人的に相手と交渉するのはかまわないので、やるだけやってみても良いということなりました。 当然のことながら、2人とも交渉結果には懐疑的でした。 しかし立候補するIさんと裏で話し合いがついているので、僕としてはこの提案には十分勝算がありました。 そしてうまくいけば、2人の候補者が独自の立会演説会を1回ずつ開き、その後で自治会または住民有志主催の公開討論会を1回開催する、という具体的な腹案まで持っていました。

そうこうしているうちに年末になり、公私共にますます忙しくなりました。 そこで年が明けたら、一度、相手の執行部の人達と話し合ってみようと考えていた矢先に、Iさんからまた連絡がありました。 今度は、

「やっぱり、立候補するのは取り止めることにした」

という、またしても思いがけない連絡でした。 立候補を取りやめた理由は、Iさんがいうには、

「血圧が高くて医者に止められたことと、当選する可能性が低いので、今のうちに落選しておくことにした」

ということでした。 しかしそれは表向きの理由であり、実際は、A地区の状況を考えるとやはり2派に分裂して争うのは好ましくないということと、下手をすると共倒れになる危険性があり、A地区に議員が一人もいなくなるのは何かと良くない、というのが本当の理由のようでした。

それからIさんはまだ町長相手の裁判で争っている最中なので、自分はそっちに専念し、町政についてはRさんに任せようと決心したようでした。 そのため、

「これからはそっちの候補者を応援するから、確実に当選して、住民の意見を町政にしっかり反映するように! 町長の言いなりになるような、情けない議員にはならないように!」

と注文をつけました。 僕がRさんを後援することにした理由のひとつがそれですから、その注文には大いに同意し、

「Rさんが当選したら、そのような議員になれるように僕は裏から支援するので、そっちはRさんにどしどし意見をいってやって欲しい」

と頼みました。

それから、Iさんはすぐにでも後援会の看板を撤去するつもりのようでしたが、僕は「こうなったら急ぐ必要はないので、正月明けにでもゆっくり撤去してはどうか?」と、それとなく頼みました。 Iさんが立候補することがわかった後、Mさん派の人達が目の色を変えて活動したおかけで、後援会会員が急増し、後援会活動にも緊張感が生まれていたので、権謀術数好きの僕はその緊張感をもう少し持続させたかったのです。

こうして正月明けにIさんの後援会の看板が撤去され、Iさんが立候補を取りやめたことがA地区のみんなに知れ渡りました。 Rさんの後援会の人達はさすがにほっとして、危機感にあふれていた目の色が元に戻りました。 僕は、

「Iさんは個人的な理由で立候補を取りやめたのであって、反Mさん派の人達が候補者を擁立することをあきらめたわけではない。 だから、また別の人を擁立する可能性が高いので、立候補が締め切られるまでは油断してはいけない」

とみんなに注意を促しました。 本音をいえば、反Mさん派の人達がまた別の候補者を探すのは時期的に見て難しいので、おそらくもう大丈夫だろうとは思いました。 しかし僕は、自分も含めて緊張感を持続させておきたかったのです。

この騒ぎは、結果的にRさんの後援会の人達に緊張感をもたらし、短期間で後援会会員を増やすことになったと同時に、反Mさん派が候補者を擁立するのを阻止することになり、Rさんの選挙活動に非常に有利に働きました。 Iさんは僕のように腹が黒くはないので、地区を2派に分裂させないための狂言立候補ではなかったと思います。 しかし僕は、もしRさんが当選することになったら、その最大の功労者はIさんだろうと、内心大いに感謝しました。 ただ正直にいうと、T町ではまだ誰もやったことのない公開討論会が開けなくなったのは、新しがり屋の僕としては少々残念でした。