玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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後援会を設立する一般的な手順は、だいたい次のとおりです。

1.幹部役のリストアップと後援会設立依頼

後援会の中心になる人物をリストアップし、後援会の設立を依頼する。 建前上は、立候補予定者を支援するために、立候補予定者の支援者が集まって後援会の設立を計画するのだが、普通は立候補者が親しい人に後援会の設立を依頼することが多い。

2.役員予定者のリストアップと内諾

周囲の状況や今後の動向を予測しながら後援会役員予定者のリストアップを行い、リストアップした役員予定者の内諾を得る。

3.発起人会開催

幹部役と役員予定者が集まって、後援会の構成、役員の内訳、後援会の活動方針、規約などの原案を作成する。

4.後援会結成大会(総会)開催

後援会結成大会の日時を決めたら住民に案内状を配り、後援会への勧誘を行う。 大会では、発起人会で作成した後援会の構成、役員の内訳、活動方針、規約などの原案について協議し、最終的なものを決定する。

5.後援会の届出

後援会は政治団体の一種なので、役場に届出が必要になる。 さらに、毎年の活動報告書と会計報告書の提出が義務付けられている。

この手順に照らすと、僕等はまだ1番の幹部役のリストアップと後援会設立依頼が終わったところでした。 そこで次に幹部役が集まって、役員を依頼すべき人物をリストアップしました。 僕等の後援会は、地縁型と人脈型を有機的に組み合わせた混合型にするつもりでした。 このため、まず地元A地区をさらに小さい地区に分け、その小地区ごとに地縁型役員を配置し、さらにRさんの友人や子供会時代の知り合いを代表する人脈型役員を、小地区とは無関係に選出しようと考えました。

現町会議員Mさんの後援会は典型的な地縁型であり、小地区ごとに役員を置いていました。 そこでその役員経験者の中から、しかるべき人物をMさんと副会長予定のCさんにリストアップしてもらいました。 そして人脈型役員の方は、Rさんと僕、そして会長予定のNさんと会計予定のDさんの4人でリストアップしました。

実はこの時、僕が本当に信頼している人はあえて役員予定者にリストアップしませんでした。 僕が本当に信頼している人は、目立たないながらも世のため人のためになる役目を黙々とこなし、選挙活動や政治活動とは距離を置くタイプの人が多いのです。 このため、後援会の役員などを頼むと迷惑がるだろうと思ったからです。 また選挙活動に深入りするあまり、僕が客観的な判断力を失ってしまった時に、第3者的な立場から冷静に助言してもらえる人を残しておきたいという気持ちもありました。

選挙活動にとことん入り込むと、一般人とは別の常識が必要なとんでもない世界に、家族や親戚や友人や知人を巻き込みます。 そしてその結果、真心のある本当の友達や仲間が次第に離れていき、建前と見栄とシガラミと損得勘定と権力争いによる、上辺だけの仲間や知人が増えていきます。 この時は、そういったことをまだ本当には実感していませんでしたが、信頼する人を選挙活動に引きずり込まなかったことは、選挙活動の間、僕が正常な判断力を保つのに有効で、しかも相手の友情を失わずに済んで大いに正解でした。

役員予定者のリストアップが終わると、その人達の内諾を得るべく依頼に行きました。 役員を依頼する場合、立候補予定者は、相手に顔の利く人、相手を口説き落とす役の人、相手の地元の有力者などと一緒に依頼に行きます。

僕は、役員予定者のリストアップにはあまり貢献していませんでした。 しかし、一応、区長会長をやっていた関係でけっこう顔を知られていたので、地縁型役員予定者を説得する時には、Mさんと一緒にしばしば同行しました。 地家の人は権威や肩書きに弱いところがあるので、「元区長会長」という肩書をちらつかせるとたまに効果があるのです。 もっとも年功序列的な考えも強いので、いくら元区長会長の肩書きを持っていても、僕のように若いとあまり効果がなく、どちらかといえば「枯れ木も山の賑わい」的な賑やかし役が大半でしたが……。

RさんはMさんの後継者として立候補することを決めましたが、地家の人達にはあまり知られていませんでした。 しかも元々は革新系の政治活動をしてきた人なので、Mさん派にとっては、いわば敵方の人間でした。 このため、地縁型役員予定者の説得工作は思ったよりも難航しました。

その時、地元の小学校区には3人の町会議員がいました。 僕の地区のMさんと、隣の地区のTさん(仮名)は自民党系の無所属議員であり、もう1人は共産党所属の女性議員Jさん(仮名)でした。 この3人はそれぞれ地盤にしている地区と支持層が違っているため、後援会も自然と住み分けができていました。 特にMさんとTさんは仲間同士なので、お互いに相手の地盤には手を出さないという、ヤクザの縄張り争いのような申し合わせができていました。 このため地区によってどちらの議員を応援するかが慣習的に決まっていて、どちらの後援会に地区役員を出すかも決まっていました。

ところがMさんが引退し、後継者として革新系出身のRさんが立つということを知ったTさんは、慣習的に行われてきた地区分けをある程度無視することにしたらしく、Mさんを応援していた地区にも積極的に働きかけをしてきました。 つまり勢力争いをしている相手方の親分が引退するので、この隙に自分の縄張りを広げようというヤクザな考えを抱いたわけです。(^^;)

そのため今まではMさんを応援していたものの、今回の選挙ではどちらの候補者を応援するのが得策か、有力者の間で議論になった地区がけっこうあったようです。 その結果、僕等が地区役員予定者を訪問して役員を依頼したところ、「地区の衆に相談したい」ということでなかなか内諾をもらえないことがありました。 中にはどちらを応援するのが得策か迷った挙句、地区を半分に分けて、半分はRさんを応援し、半分はTさんを応援することに決め、どちらの後援会にも同じように地区役員を出すことにしたところもありました。

地縁型役員予定者に比べると、人脈型役員予定者の方は比較的スムーズに説得できました。 こちらはほとんどの人がRさんの人柄と政治的背景を知っていて、革新的な考えを持っている人が多かったので、地縁型役員予定者のように「地区の衆」に相談する必要も、日和見をする必要もなかったからです。 それでも、かなり革新的な考えの持ち主であるはずの人脈型役員予定者ですら、この土地のシガラミの強さと、横並び的な考え方に影響されていることを実感するようなことがありました。

人脈型役員予定者は、地区とは無関係にRさんの人脈を中心にしてリストアップしたので、Tさんの地盤から選んだ人も何人かいました。 その人達は最初は役員になることを快諾してくれましたが、そのうちに役員名簿に名前は載せないで欲しいという人が出てきました。 そこで後援会幹部と相談した結果、表向きは役員名簿から名前を削除しました。 もちろん、そんなことは何とも思わず、堂々と役員名簿に名を連ねた人もいました。 しかし後援会幹部で相談した結果、そういった人達にはあまり表に出ないような役目を割り当てることにしました。

人脈型役員は個人的な知人や所属する団体をまとめる役目であり、地縁型の地区役員のように地区の人達をまとめる役目ではありません。 しかしTさんの目には「自分の縄張りを荒らされた!凸(-"-メ)」と映るでしょうから、わざわざ喧嘩を吹っかけるようなことは避けようとしたのです。 僕とRさんは、町会議員は全ての町民のために働くというのが建前だから、選挙活動を特定の地区だけに限る必要はないし、そもそも相手もこちらの地盤に手を出しているのだから、役員本人が気にしないのなら、そんなことに気を使う必要はないという考えでした。 しかしここの土地柄と今後のことを考えて、渋々ながら他の幹部の人達の意見に従いました。

地縁型の地区役員予定者の内諾を取るのが思いがけず難航していることに加えて、僕にはもうひとつ気がかりなことがありました。 それは後援会の幹部にも役員予定者の中にも、いわゆる「選挙プロ」と呼べるような参謀役がいないことです。 選挙運動のことを勉強すればするほど、僕はどうしても選挙プロの力が必要だと痛感するようになりました。 自治会活動などでは、失敗しても恥をかくだけで大したことはありませんが、選挙となると、ヘタに失敗すればそれこそ警察沙汰になり、大勢の人に迷惑がかかってしまいます。

Rさんや後援会幹部の人達は、選挙運動をやり慣れてはいますが、残念ながらプロではありません。 最初のうちは、どの人も選挙運動をやり慣れているので、選挙プロに近い人だろうと思っていました。 しかし色々と話をしているうちに、法律のことや会計処理のことなどは、本から得た付け焼刃的知識しか持っていない僕の方が詳しいことがわかってきました。 自治会活動でかなり強引な手練手管を使ったせいか、Rさんも後援会幹部の人達も、僕のことを買いかぶっているところがありました。 そのため僕を参謀扱いして、難しい法律的な問題や会計上の問題などがあると、あろうことか選挙初体験でドシロウトの僕に質問したりするのです。 これには能天気な僕もさすがに少々焦り、何とか選挙プロを幹部に引きずり込む方法はないかと考え始めました。

幸か不幸か、それとも蛇の道は蛇というべきか、僕は一人の選挙プロと知り合いであり、さらにもう一人の選挙プロにも心当たりがありました。 一人は区長時代に知り合った個人的な知り合いで、自民党の大物県会議員の秘書をしているHさん(仮名)です。 この人はまさしく選挙プロですが、自民党の県会議員の秘書という立場上、革新系出身の候補者の選挙運動を表立って手伝うわけにはいきません。 そこで僕の個人的なコーチ役として、アドバイスだけしてもらうということで話がついていて、既に選挙活動と後援会活動について色々と教えてもらっていました。

もう一人はMさんの後援会の幹部で、Mさんの選挙の参謀役をやってきたGさん(仮名)です。 この人は当然、役員予定者にリストアップしてあり、一応、内諾はもらっていました。 しかしRさんが革新系出身ということから、義理で役員に名を連ねただけで実際の活動には消極的でした。 Gさん以外にもMさんの後援会幹部には選挙プロに近い人が数名いて、役員予定者にリストアップしてありました。 しかし中心人物であるGさんが消極的なので、まだ内諾をもらえない人がいました。

こういった人達を幹部に引きずり込むためには、やはり上から攻めるのが一番効果的です。 そこでRさんと後援会幹部に相談した結果、役員予定者の説得工作と平行して、町長と地元の県会議員、そして地元の特殊な政治団体K会の支援を取りつけることにしました。 そこで遅まきながら、MさんはRさんを連れて町長、地元の県会議員、そしてK会の会長に立候補の挨拶に行き、支援を要請しました。 その結果、町長とK会会長はすぐに快諾してくれました。 しかし県会議員はさすがに快諾してくれず、色々な状況を考慮してから判断したいという返事でした。

町長のDさんは自民党系の無所属町長ですが、反町長派と対抗するために、共産党以外の革新系の議員と手を結んでいました。 このためRさんが後援会会長をやっていた革新系の町会議員も、一応、町長に協力していました。 そして今回の選挙では、反町長派の元締めである元町長のCさんが、町会議員に立候補するらしいという噂が飛び交っていました(そして驚くべきことに、その噂は真実だったのです!)。 そのため町長は、立候補者の顔ぶれがどのようなもので、当選後の議会がどのような勢力分布になるのか気を揉んでいました。

こんな背景があったために、Rさんの経歴を知った町長はすぐに快諾し、わざわざK会会長にも支援するように声をかけてくれました。 町長に支援を要請するということは、とりもなおさず町長と親分子分の関係になり、当選後は町長派に属するということですから、町長にとってはありがたい要請だったのでしょう。 そして町長からの推薦が効いたせいか、K会会長も同じように快諾してくれました。 そして最終的に、RさんはK会の正式な推薦候補ということになりました。

K会は、これまで地元の候補者の支援はするものの、正式な推薦はしていませんでした。 これは地元に常に複数の候補者がいて、その候補者同士が必ずしも仲が良いというわけではなかった……というよりも、はっきりいって犬猿の仲だったりしたので、正式な推薦はしていなかったのです。 ところが今回は、元町長が町会議員に立候補するという異常事態に危機感を抱いた現町長の強い希望で、RさんとTさんの2人を正式に推薦することになりました。

町長とK会の正式の推薦は、権威と肩書きに弱く、横並び的考えの強いこの土地の人達には予想以上の効果がありました。 それまで渋っていた地縁型の地区役員予定者は、次々と内諾してくれましたし、Mさんの後援会の選挙プロと選挙プロに近い人達も、これまでとは打って変わって選挙活動に積極的に取り組んでくれるようになりました。 それどころか、地区のシガラミから、役員の仕事はするのに役員名簿に名前を載せない人とは反対に、実質的な役員の仕事はしないにもかかわらず、役員名簿に名前だけ載せて欲しいという人達が次々と出てきました。 その結果、役員内諾者の数は、町長とK会の推薦が得られる前の倍以上に膨れ上がりました。 そしてこの状況を知った県会議員も、渋々ながらRさんの支援を承諾し、推薦候補のひとりにしてもらえることになりました。

この時点で、僕はほっと一安心しながらも、同時に何となく先行きに漠然とした不安のようなものを感じ始めました。 というのは、過去の経験からK会のやり方をある程度知っていたので、K会の人達が積極的に乗り出したとなると、僕とRさんが目指す選挙活動──従来の地縁型選挙活動と、住民参加・草の根型の選挙活動を組み合わせたもの──を行うという基本方針が、地縁型の方に引きずられてしまうのではないかと思ったからです。 そしてこの漠然とした不安は、選挙活動が活発になるにしたがって現実のものになります。