玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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選挙活動にとことん深入りすることを決意した僕は、まず最初に後援会活動と選挙活動の勉強をすることにしました。 これまで興味のおもむくままに色々な世界に首を突っ込み、色々なことをやってきましたが、さすがに後援会活動と選挙活動はまだ経験したことがありません。 そこで図書館と本屋で議員と後援会と選挙に関する本を探し、手当たり次第に読み漁りました。

それと平行して、区長の時に知り合った町会議員や町会議員の後援会の人達、そして地元の大物政治家がらみで知り合った「選挙屋」と呼ばれる選挙プロの人を訪ね、後援会の立ち上げ方と運営方法、選挙活動の方法などを教えてもらいました。 幸い、立候補することになった隣人のRさんは、町会議員の後援会会長をやった経験があり、選挙活動の経験も豊富なので、手取り足取り教えてもらうことができて僕にとっては非常に心強い限りでした。

こうして僕が後援会活動と選挙活動の理論と実践、または建前と本音、つまりは表の活動と裏の活動のイロハを次第に理解してきたところで、Rさんと2人で今後の方針を検討することにしました。 そもそも僕が選挙活動に深入りすることになった最大の理由は、とんでもない人物が地元A地区の町会議員になることを阻止したかったからです。 そこで僕は、今回の選挙活動の第1の目標をそこに置きました。 それから前回の選挙で地区が2派に分かれて争った結果、住民の間に感情的なしこりが残ってしまい、自治会活動など色々なところで不都合が生じていました。 そこで今回の選挙ではそういったことが起こらないようにし、できれば住民の間の感情的なしこりを何とか解消したいと思い、これを第2の目標にしました。

その結果、Rさんには少々悪いのですが、個人的には候補者の当選は3番目の目標になりました。 しかし第1の目標と第2の目標が達成できれば、これまでの選挙結果とA地区の有権者数から考えて、第3の目標は確実に達成できるはずです。 またせっかく選挙活動をするのですから、これをきっかけにして無関心派の人達の関心を呼び起こし、町政や地区の住民活動に興味を持ってもらえればこれにこしたことはないと思い、これを行きがけの駄賃的な4番目の目標にすることにしました。

ただしこれらはあくまでも僕の個人的な目標であり、Rさんに対する礼儀上からも建前上からも、候補者の当選と、住民の意見を反映した政治活動をすることを最大の目標にしました。 そしてその目標を達成するために、後援会活動と選挙活動の基本的な方針をRさんと検討しました。

選挙活動は公職選挙法(公選法)によってしっかり規制されているので、基本的な部分は自ずと決まってしまいます。 しかし各論的な部分には色々な流儀があります。 それらを大別すると、主として政党に所属する議員が行う政党・組織型と、主として市民派の議員が行う住民参加・草の根型の2通りになります。

立候補することになったRさんは、これまで社会党の議員や社民党系の議員の後援会活動と選挙活動を行ってきた関係で、どちらかといえば政党・組織型の活動をしてきました。 それに対して僕は住民参加・草の根型の活動の方が性に合っている上、こちらの方が個人的な目標にも適していると思いました。 またRさんは僕とほぼ同じ時期にこの土地に移住してきた住民であり、僕と同様にA地区の町会議員のMさん派でも反Mさん派でもありません。 しかし革新的な考えを持っているため、どちらかといえば反Mさん派の中の革新的な考えを持つ人達と親しく、Mさん派の人達とはあまり親しくありませんでした。 それに対して僕は、区長をやっていた関係でMさんと親しく、Mさん派の人達から仲間と思われていました。

そこで確実な当選と、地区をひとつにまとめるという目標のためには、A地区で従来から行われている政党・組織型に準じた地縁型選挙活動をベースにし、それによってMさん派の人達の支持と協力を確保しておき、できれば反Mさん派の中の革新的な人達の支持と協力も得られるように、必要に応じて住民参加・草の根型の選挙活動も組み合わせるという折衷型でいくということで、僕とRさんの意見は一致しました。 そして首尾良く当選した後は、後援会の内容を、地縁型をある程度残しつつ徐々に草の根型に移行していき、現在のMさん派と反Mさん派を融合したような会にしたいということでも、僕とRさんの意見は一致しました。

選挙運動の基本方針が決まったところで、いよいよ具体的な活動を始めることにしました。 選挙活動は、だいたい次のようなタイムスケジュールで行うのが一般的です。

1.準備期間…投票日の約1年〜半年前

立候補決意または候補者選び、現状分析、政策作り、後援会設立、事務所開設、資金調達等。

2.実践期間…投票日の半年〜3ヶ月前

後援会拡大、政策訴え、街頭演説、朝夕の駅立ち等。

3.追い込み期間…投票日の3ヶ月〜1ヶ月前

選挙事務所設立、選挙七つ道具準備、総決起大会開催等。

4.最終準備期間…投票日の1ヶ月〜1週間前(公示日)

準備状況の最終チェックと現状分析、選挙期間中の日程計画・人員配置計画立案、選挙説明会参加、立候補用書類作成、書類の事前審査等。

5.選挙期間…投票日の1週間前〜投票日

立候補書類提出、ポスター貼り、遊説、電話作戦等。

6.後処理期間…投票日〜3ヶ月後

選挙打ち上げ会、会計報告書作成・提出等。

7.結果報告期間…3ヵ月後〜6ヵ月後

結果報告会等。

ここで、「選挙運動」と「政治活動または後援会活動」の違いをちょっと説明しておきましょう。 選挙運動とは、選挙期間すなわち選挙の公示日から投票日前日までの間に、当選を目的にして行う運動行為のことであり、街宣車による遊説や電話による投票依頼などがお馴染みです。 それに対して政治活動または後援会活動とは、政治家が議会に出席したり、政策や時局について住民と話し合ったりする活動と、それを支援する活動のことであり、建前上は選挙の当選を目的にしていない活動のことです。

本当は政治活動が政治家の本来の仕事であり、選挙運動はその活動を行うための手段にすぎません。 しかし往々にして手段が目的化し、選挙に当選するために政治活動を行う政治家が多くなりがちなのはご存知のとおりです。

選挙期間以前に立候補予定者の当選を目的にした活動をすると、選挙の事前運動になって選挙違反になります。 また選挙期間中に政治活動や後援会活動を行うことは、理論的には可能です。 しかしそれはどうしても結果的に選挙運動になってしまうので、事実上、選挙期間中は政治活動または後援会活動はできません。

ただし、立候補予定者の政策や政治信条を知った有権者がどのような反応をするかを調べる「瀬踏み行為」は、選挙期間以前に行っても事前運動にはならず、選挙違反にはなりません。 選挙運動と政治活動または後援会活動の区別が元々曖昧な上に、こういった紛らわしい行為が公選法で認められているのでややこしい限りです。 これ以外にも、「運動員」と「単純労務者」の違いなども普通の人には理解しがたいところがあります。 今回、実際に選挙活動を行ってみて、公選法は理不尽なところの多い、わけワカメな法律だとつくづく実感しました。

さて、Mさんが引退宣言をしたのが選挙の約半年前であり、Rさんが立候補を決意したのが10月頃、つまり選挙の約4ヶ月前です。 したがって上のタイムスケジュールに照らすと、僕等の選挙活動はかなり遅れてスタートしたことがわかると思います。 この遅れを取り戻すべく、選挙活動の基本方針を決めた僕とRさんは具体的な活動を急ぎました。

まず最初に取りかかったのは、後援会役員の候補者をリストアップして、誰にどの役を頼むかを相談することでした。 後援会の組織は、大雑把にいえば次のような種類があります。

  1. 人と人の個人的なつながりを中心とした人脈型組織
  2. 地域におけるつながりを中心とした地縁型組織
  3. 両者を有機的に組み合わせた混合型組織

基本方針に従えば、僕等の後援会は必然的に3番の混合型になります。 その基本方針と地域の現状、そして僕が区長の時に経験した色々なことを考え合わせて、キーマンである後援会会長と選挙の事務長は、できればMさん派の主要人物と反Mさん派の主要人物にやってもらい、僕は黒子に徹して裏方から色々なサポートをするのが良いという結論に達しました。 僕とRさんとはほぼ同じ時期にこの土地に移住してきた住民であり、地家の人達にとってはあくまでもよそ者です。 このため僕が後援会会長と選挙の事務長を兼ねてしまうと、混合型組織にならない恐れがありました。 しかも区長の時に自治会の改革をかなり強引に推し進めたので、僕が表に出ると反発する人がいるだろうという懸念もあったのです。

Rさんは、Mさんの後援会役員から後継者になって欲しいと頼まれて立候補を決意したのですから、Mさんの後援会役員は、当然、そのままRさんの後援会役員になってもらえるものと僕等は思っていました。 このため後援会役員候補者のリストアップが終わると、まずMさんの後援会の中心人物であるCさん(仮名)に、後援会会長を引き受けてもらうべく依頼に行きました。

ところがCさんは、後継者が決まったことで自分の役目はもう済んだと思っていて、自分もMさんと一緒に引退して後は若い人達に任せるので、これからは僕のような若い人が会長をやるべきだと主張して譲らないのです。 Cさんは地家の中でも一番古い家柄の人であり、後援会会長だけでなく、氏子総代や福寿会会長なども歴任したA地区の長老の一人です。 そしてCさんと僕は、区長の時からの付き合いでかなり親しくなっていたので、地区の将来のためには、Rさんと僕を表に立てて、自分は相談役的な立場に退いた方が良いと自分なりに判断していたのでしょう。

もし僕がCさんの立場なら同じように判断したでしょうから、僕も内心はCさんの意見に賛成でした。 しかしA地区の地家の人達の気性やものの考え方からして、地家の人達、特にMさん派の人達の支持と協力を得るためには、僕ではなくCさんを表に立てることがどうしても必要でした。

そこで僕はMさんを説得し、さらに僕が区長の時に一緒に仕事をした人の中にCさんの親戚がいたので、その人を説得し、Cさんと親しいA地区の長老達を説得しまくり、色々な人からCさんに会長を引き受けるように話をしてもらいました。 こうして外堀を埋め、内堀を埋め、表から攻め、搦手からも攻めて、すったもんだの挙句に、ようやく会長ではなく副会長になってもらう代わりに、選挙の事務長を引き受けてもらうことに成功しました。

後援会会長の第1候補だったCさんが副会長になったため、第2候補だったNさん(仮名)に会長を依頼することになり、やはりすったもんだの挙句に何とか引き受けてもらえました。 NさんはRさんの知り合いであり、Rさんと同じようにMさんでも反Mさん派でもありません。 しかし以前の町長選挙の時に、義理で反町長派の候補者の選挙活動を手伝った経験があり、どちらかといえば反Mさん派に近い人でした。

その次にRさんの親友であるDさん(仮名)に会計を依頼し、こちらは比較的すんなり引き受けてもらえました。 DさんはRさんと中学校時代まで同級生だった人で、たまたま同じ地区に引っ越して来てRさんと再会したのです。 RさんはDさんを非常に信頼していて、最初からDさんに会計を依頼すると決めていたようです。 他の後援会幹部と違い、Dさんは選挙経験も政治活動経験も全くないごく普通の人であり、本当にものすごくまっとうな普通人の常識と感覚を持ち合わせていました。 僕はその人とは初対面でしたが、すぐに意気投合し、後援会幹部の中で一番気が合う人になりました。

後援会活動や選挙活動では、一般常識から見れば非常識なことが常識としてまかり通っていて、集まってくる人達も大半が普通ではない人達です。 このためそういった人達と一緒に活動していると、ついついそちら側の考え方に引きずられて、正気を失ってしまいがちになります。 そういった時にDさんと話をすると、正気を取り戻し、常識的な普通人の感覚に戻ることができて非常に助かったものです。

最後にMさんに顧問役を依頼して快諾してもらい、僕は事務局長兼雑用係をすることにしました。 こうして、後援会の幹部が一応揃いました。