玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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具体的な選挙活動計画が決まったので、僕はそれを選挙活動計画書としてまとめ、選挙スタッフに配って周知徹底を図ろうとしました。 ところがその計画書を、僕の個人的なコーチ役の選挙プロHさんに見せたところ、これは選挙対策本部の幹部だけに配り、役員や選挙スタッフには配らない方が良いと助言されました。 その理由は、選挙では何が起こるかわからないので、できるだけ証拠になるようなものは残さない方が良いということと、何かの拍子で他の候補者陣営に見られるとこちらの手の内を見透かされてしまい、選挙戦が不利になる危険性があるからということでした。

実は執行部で選挙活動計画案を作っていた時、Mさんの後援会幹部の人達に、今までの選挙活動の資料はないかと尋ねたところ、これまでは選挙経験者が中心になって阿吽の呼吸で活動を進めていくのが常で、具体的な計画書などは作らなかったというので驚きました。 そこで仕方がないので、色々な本やインターネットサイトや経験者の話を参考にして僕なりの選挙活動計画のたたき台をつくり、それについて執行部で検討して役員会用の資料を作成したのです。

僕がまとめた選挙活動計画書は、公選法と照らして、選挙違反になりそうなことは極力排除するように気を使って書きました。 しかしHさんの助言は十分に納得がいくものだったので、最終的には選挙対策本部の幹部にだけ配ることにしました。 また役員会で選挙活動計画の執行部案を配り、たいていの役員がそこで決定されたことをその計画書に書き込んでいたので、役員の人達にはそれらの資料を頭に叩き込んでもらい、後で回収することにしました。

役員会の後、活動計画に従って最終的な選挙準備を開始しました。 それまでは週に1度ほどの頻度で幹部会を開き、月に1度ほどの頻度で役員会を開いていたのが、この時期からほぼ2日に1度は幹部会を開き、週に1度は役員会を開くようになりました。 そして活動のイニシアチブを取る役目が、後援会会長のNさんと事務局の僕から、選挙事務長のCさんと参謀のGさんとPさんに移りました。

Cさん達はMさんの選挙で何度も一緒に選挙活動をしているので、お互いに阿吽の呼吸で選挙準備を進めていき、活動の記録をほとんど残しません。 これは下手に証拠になるようなものは残さないようにするということと、この土地には記録を残す習慣が元々ないということの両方からきています。 事実、地家の人達が自治会役員を担当した年は自治会の活動記録がほとんど残っておらず、僕が区長をやることになり、過去の記録を調べようとした時にけっこう苦労しました。

そこで後学のために、活動記録を個人的に覚書として残すようにしました。 しかし僕が平日の昼間は会社に行っているのに対して、Cさん達は地元にいるため、ほとんど毎日会って色々な準備をどんどん進めていきました。 このためこの時期以後は、僕の目が行き届かないことが増えてきて、活動状況を把握できない部分が次第に増えてきました。

選挙説明会の1週間ほど後の1月下旬に、選挙管理委員会で立候補届出書類の事前審査が行われ、Rさんと立候補届出責任者のPさんが事前審査を受けてきました。 本当は僕も参加したかったのですが、当日は平日だったので止むを得ず同行せず、帰宅してからRさんの家に首尾を聞きに行きました。 選挙期間中に有休を沢山取る予定なので、有休を使うのをできるだけ控えたのです。 事前審査は首尾良く終了し、選挙管理委員会の人から、

「立候補の届出書類はこのまま封筒に入れて保管しておき、公示日にそのまま提出してください」

といわれたそうで、Rさんはそれを神棚に上げて保管することにしました。 選挙ではこういったゲンかつぎがけっこうあり、少々笑えました。 でも、その気持ちは何となくわかるような気がしました。

事前審査が無事に終わると、男女別に選挙スタッフ会議を開き、役割分担を決めました。 選挙スタッフは地区責任者が中心になって集めたボランティアであり、後援会の役員と会員、そしてRさんの近所の住民です。 Rさんと僕が近所同士ということもあり、近所の住民はこぞって選挙スタッフに名乗りを上げてくれました。 この土地は、地家だけでなく新興住宅でも住民同士の交流が盛んなので、こういった時は知らん顔をせずに、お互いに助け合うという良き(ひょっとすると、悪しき?(^^;))習慣があるのです。

何しろ事が選挙ですから義理だけで参加してくれた人も多く、内心は迷惑と思った人もいたでしょう。 しかしたとえ義理だとしてもありがたいことであり、Rさんは非常に感激すると同時に、あらためて責任を感じていました。 こういったことが非常に励みになると同時に、応援してくれる人達の期待を裏切るわけにはいかないから、何としても当選しなければならないというプレッシャーにもなり、Rさんとその家族の人達の肩に重くのしかかっていきました。 その様子は、まるでオリンピック選手とその家族もかくあらんという感じで、何となく気の毒な気がしました。

この時は60人ほどの選挙スタッフが集まったので、効率良く役割分担を決めるために、KJ法を応用した方法を試してみました。 まず選挙活動に協力できる日時と希望の役割を記入できるように、選挙期日と役割をカレンダーのような一覧表にまとめたカードを全員に配り、各自の希望を書き入れてもらいました。 次にそれを集めて大きな机の上に広げ、役割ごとに分類してバーチャートのように日時順に並べました。 こうすることによって、希望が集中したところや少ないところが一目瞭然にわかります。 それを見ながら、極端に希望が集中した所や少ない所を無くすように、みんなで相談して調整したのです。 これはKJ法の真似事のようなラフな方法であり、会社などで行う時はもう少しきめの細かいやり方をします。 しかしたったこれだけの工夫でも、大勢の希望を効率的に調整して人員配置をスムーズに行う助けになりました。

主な役割としては街宣車と伴走車の運転手、ウグイス嬢、電話作戦のオペレーター、選挙事務所の来客接待係、選挙スタッフの食事係、そして歩きながらの遊説や街頭演説のお供役などがあります。 ちなみに歩きながらの遊説は、候補者を先頭にして、その後に運動員が旗を持ってゾロゾロとお供するので、通称「モモタロウ」といいます。 また男性のウグイス役を通称「カラス(^^;)」といいます。 こういった業界用語はどこの世界にもあるもんです。

大雑把な人員配置とスケジュールが決まったところで、その用紙をフリーのスケジュール管理ソフト「がんすけ」にインプットし、役割別にガントチャート形式のスケジュール表にまとめました。 そしてそのスケジュール表を見ながら、全体的な微調整を行いました。 ちなみに、「がんすけ」は手軽で使いやすいスケジュール管理ソフトなので、会社でもたまに利用していました。 その後、最終的なスケジュール表をプリントアウトして、選挙対策本部の幹部と各役割の責任者に渡し、選挙活動計画書と合わせて、今回の選挙活動の基本的な資料として色々な場面で大いに利用してもらいました。

選挙活動は臨機応変が原則であり、活動結果の手ごたえや有権者の動向、そして他陣営の動向を見ながら、経験に裏打ちされた参謀のカンによって臨機応変に活動スケジュールを変更し、色々な手を打っていきます。 このため最初に立てるスケジュールは、かなり大雑把で臨機応変に変更できるようにしておき、参謀の指示によっていつでも動ける遊軍的なスタッフを、できるだけ大勢確保するようにします。 そして選挙スタッフには、例えスケジュール表になくても、時間があれば選挙事務所に顔を出し、参謀の指示に従うようにというお願いをしておきます。

実際、今回の選挙では、この時に立てたスケジュールどおりに選挙活動が行われたのは半分以下でした。 ただし逆説的ですが、そのようにスケジュールを変更する際に、この時作成したスケジュール表が大いに役立ったのです。