玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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役割分担とスケジュールが決まった後は、各役割の責任者が中心になって、それぞれの担当者と一緒に準備を進めました。 その準備状況を把握すると同時に、準備の仕方を覚書に記録しておきたくて、僕は各役割ごとの打ち合わせになるべく顔を出すようにしました。 しかし各役割の準備はそれぞれが並行して、しかも主として平日に進められたので、全てに顔を出すことはできませんでした。 このため細部にまでは目が行き届かず、選挙後に選挙運動費用収支報告書を作成する段階でかなり苦労することになりました。

役割ごとの選挙準備の中で特に大変だったのは、選挙スタッフの食事係の人達です。 選挙スタッフは数が多く、しかも臨機応変に活動スケジュールを変更するため、事前に食事をする人数が確定しているということはほとんどありません。 その上、提供できる食事の数や費用が公選法で厳格に決められているので、迂闊に食事を出すと選挙違反を犯してしまう危険性があります。

このため、選挙スタッフには公選法で決められた報酬を支払うだけで、食事の世話は一切しないという選挙が最近は増えているそうです。 しかし町会議員選挙のような田舎の選挙では、選挙スタッフは全て無報酬のボランティアなので、せめて食事くらいは提供するというところが圧倒的に多いのです。 この悪しき慣習について、今後はできるだけ止める方向に持っていきたいという相談をRさんと僕の間で行い、一応、幹部会でも意見としていってみました。 しかしさすがの僕も、その意見を強硬に主張することはできませんでした。

僕やRさんのような新興住宅の人達が、こういった食事の準備と世話をしようとすれば、まず大量の食器を用意することだけでも困ってしまいます。 しかし地家の人達は、今でも自宅で葬式や法事を行っているので、大勢の人達の食事の世話をするのは慣れていて、食器類や炊事用具も揃っています。 そういった経験豊富な地家の人達が進んで食事係に志願してくれたお陰で、大きな混乱もなく準備が進み、選挙期間中の食事メニューと段取りが着々と決まっていきました。

選挙期間中の食事メニューでいかにもという感じだったのは、初日と最終日のメニューはすぐにトンカツと決まったことです。 これは当然、「敵に勝つ」というゲンをかついだものであり、スポーツなどでも、大事な試合に臨む時の食事をこのメニューにすることがよくあります。 ただフルセットでゲンをかつぐならば、本当はステーキとトンカツにしたいところです。 しかし公選法で1食あたりの金額が1000円以内と決められているので、ステーキはやめてトンカツだけにし、しかも普通の1人前を2人で分けるという涙ぐましいメニューになりました。

現在の選挙では、選挙スタッフに1食1000円以内の食事しか出すことができず、選挙事務所に顔を出す来客にはお茶と御菓子しか出すことができません。 しかし昔の選挙はその制限がもっと緩かったので、田舎の選挙では来客にお酒を振舞い、誰彼かまわず食事を振舞うのが当然のように行われていました。 それはちょうど地元の氏神様のお祭りのようなものであり、選挙は地区ぐるみのお祭り騒ぎだったわけです。

このため選挙になると、タダ酒を呑み、タダ飯を喰らうために、色々な選挙事務所をハシゴする人がけっこういたそうです。 ある町会議員選挙で、あまり見かけないオジサンが選挙事務所で酒を飲み、食事をしているので、選挙スタッフが、

「失礼ですが、おたくはどの地区の人ですか?」

と尋ねたところ、オジサンは少しもわびれることなく、

「隣町の○○だよ。 ここの候補者を応援してあげるでな!」

とにこやかに答えたそうです。 隣町のオジサンには、当然、選挙権はないので、選挙スタッフは丁重にお引取り願った、なんてことがあったそうです(この話は、そのオジサンの相手をした選挙スタッフ当人から聞きました。(^^;))。 最近の選挙では、そういったお祭り騒ぎはさすがに減ったようです。 でも今回の選挙でも、古い地家の人ばかりの地区では、来客にお酒と食事を振舞うといったことが半ば公然と行われていたそうです。

食事係の準備では僕は単なる傍観者でしたが、この当時は会社のお客様相談室相当の部署にいたため、電話作戦の準備は多少は手伝うことができました。 お客様相談室では、典型的な電話応対のセリフを入れたフローチャートのようなスクリプト(台本)を新人用に作成します。 僕もそういったスクリプトを作成したことがあるので、それを応用して電話作戦用のスクリプトを作成し、オペレーター係のスタッフに利用してもらいました。 セリフの内容は選挙関係の本やインターネットのウェブサイトで調べ、電話作戦の責任者と相談して決めました。 電話作戦のセリフはどの陣営でもだいたい似通っていて、例えば次のようなものが典型です。

○序盤から中盤戦のセリフ

「おはようございます。 こちらは町会議員選挙に立候補しております、『○○××』の選挙事務所でございます。

みなさんと一緒に、新しい町づくりを行いたいと思います。 『○○××』を、どうかよろしくお願いいたします。

どうもありがとうございました。 お忙しいところをお邪魔して、申し訳ございませんでした。 失礼いたします」

○終盤戦のセリフ

「おはようございます。 こちらは町会議員候補の、『○○××』選挙事務所でございます。

『○○××』、一生懸命頑張っておりますが、当選まであと一息のところでございます。 今度の日曜日の御投票には、『○○××』をよろしくお願いいたします。

どうもありがとうございました、失礼いたします」

電話作戦は単に候補者の支持をお願いするだけでなく、相手の反応の良し悪しをチェックして、選挙運動の参考資料にすることも重要な目的です。 そこで僕は、データベースに登録した後援会名簿を利用して、相手の反応を書き込む欄を設けた電話作戦用名簿を作成し、電話作戦のオペレーターに渡しました。 そして相手の反応は、大体次のような要領で書き込んでもらうようにお願いしました。 名簿に付けられたこの記号や相手の意見は、選挙運動の参考になると同時に、終盤戦には票読みの材料としても利用します。

その他にポスターの掲示場所の下見にも同行しました。 といっても、ポスターの掲示場所は91箇所もあり、それを5つの地区に分けて5グループで分担しているので、1つのグループの下見にしか同行できませんでした。 選挙説明会で入手したポスター掲示場の地図にマーカーで印をし、その地図を見ながらそれらを効率的に回るルートを事前に検討し、そのルートを実際に自動車で回りながら掲示場所を下見しました。

僕が同行した地区は、比較的近くてルートが簡単だったので、問題は特にありませんでした。 しかし他の地区には少し問題のある場所がありました。 それは、公営競馬のトレーニングセンターの敷地内にある掲示場でした。 そこは非常に規模の大きなトレーニングセンターなので、職員の官舎が沢山建っていて、そこだけで1つの地区になっています。 そしてそこからいつも町会議員が一人立候補していて、その地区の票だけで当選しているのです。

だからその他の候補者はその地区に選挙運動に行かず——というか、他の候補者は敷地内に入れてもらえず、ポスターを掲示しない候補者さえいるそうです。 このため僕等の陣営でも、そこは最初から計算外になっていて、選挙運動に行く予定はありませんでした。 しかしせっかくだらポスターくらいは貼ろうということになり、担当グループが下見に行ったのです。 しかし予想どおりその地区の住民から胡散臭い目つきで見られ、本番で無事にポスターを貼らしてくれるかどうかわからないということでした。 そこで、本番では最後にそこにポスターを貼りに行き、もし雰囲気がやばかったら無理に貼る必要はない、ということになりました。