玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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出陣式の翌日は休日だったので、また朝7時に事務所に行き、選挙運動前の幹部打ち合わせから夜の選挙運動後の幹部反省会まで、一日中選挙運動に参加しました。 この日は休日で有権者が家にいる可能性が高いため、候補者のRさんは街頭演説とモモタロウを中心にして活動し、モモタロウに同行しないスタッフは街宣車で活動するということになりました。 モモタロウは他の候補者と重なると都合が悪いので、あえて事前に実施時間を決めず、街宣車からの報告や、他陣営の様子を偵察に行ったスタッフからの報告を参考にして、参謀がタイミングを見計らってゴーサインを出します。 このためスタッフはいつでもモモタロウに参加できるように、時間の都合がつく限り事務所に詰めていることになります。

朝8時になると、まず最初に練習と景気づけを兼ねて、事務所の前でRさんが街頭演説を行いました。 Rさんは組合活動をしていた上、素人劇団で役者をやっていたので、演説がかなり上手です。 現町会議員のMさんの演説しか聴いたことがなかった多くのスタッフは、Rさんの演説を聴いて非常に感心していました。

実は参謀のGさんも、Rさんの演説を初めて聴いたひとりでした。 演説を聴いてGさんはいたく喜び、街頭演説を沢山行うように運動スケジュールを変更することにしました。 Mさんは「吹く(業界用語、演説のこと)」」のが下手だったため、これまでの選挙では街頭演説をあまり行わず、街宣車とモモタロウを中心にして運動を進めていました。 しかし選挙運動では、候補者が演説しないとやはり格好がつかないので、参謀のGさんとしては、本当は街頭演説をもっと取り入れた運動をしたかったのです。

この日は休日だったので、スタッフだけでなく色々な人が事務所に訪れ、Rさんやスタッフを激励してくれたり、労をねぎらってくれたりしました。 事務所に人が沢山詰めかけていると、そこの候補者に人望があり、その陣営に活気があるような印象が与えられるので、たとえ実質的な仕事をしていなくても選挙運動に十分貢献します。 地家の人達はそういったことを心得ているので、時間があればできるだけ事務所に詰めています。 A地区の地家は兼業農家が多いため、休日しか事務所に来られない人もけっこういて、この日はそういった人達も事務所に詰めていました。

区長をやっていた関係で地家の人達の中には顔見知りが多いので、この日は僕もその人達と一緒に世間話に花を咲かせました。 僕が、地家の人達が事務所に沢山来てくれるので大いに助かる、ということを話題にすると、

「今回の候補者のことはあんまり知らんが、他の候補者についとると思われると嫌だから、仕方なく来とるんだ」

という返事をする人が多いので驚きました。 もちろん冗談半分の口調でしたが、その人達の世間話の内容は、

「誰それが来とらんが、あいつは××地区の○○候補と親しいらしいから、○○候補の事務所に行っとるんじゃないか?」

とか、

「誰それは、どうも××党を支持しとるようだから、○○候補のとこに行っとると思うぞ」

とか、

「誰それが選挙の時にじっとしとるわけがない、○○候補んとこに行っとるに決まっとる!」

とか、とにかく事務所に顔を見せない人の噂話が大半でした。

その噂話に名前が出た人達の中に、僕が尊敬したり信頼したりしている人がけっこういました。 その人達は、世のため人のために地味ながら大切な活動を黙々と行っていて、政治活動や権力争いからは距離を置くタイプの人が多いのです。 そういった人達は、選挙の時は冷静かつ大局的に社会の動きと候補者を見極め、自分の信念に従って投票します。 このため僕はあえて今回の選挙活動に誘わず、僕が血迷った時のための冷静かつ客観的な相談相手として残していました。

そういった人達は、どんな選挙でもどこかの陣営につくということはせず、どこの選挙事務所にも顔を出しません。 そのため選挙のたびに噂話のネタにされ、色々と陰口を囁かれることが多いのでしょう。 おそらく当人はそんなことは全く気にしていないでしょうし、僕自身も人からあれこれ噂されるのはほとんど気になりません。 しかし自分が尊敬している人が、憶測だらけで程度の低い噂話のネタにされているのを聞かされると、さすがに腹が立ちました。

もちろん、他愛のない噂話であることは重々わかっていました。 また根っからの善人ではあるものの、村社会の横並び主義に染まり切ったこの人達に、本当のことを話しても理解できないだろうということも十分にわかっていました。 そこで抗議の声を上げたいのをグッと我慢して、噂話を聞き流すことにしました。

この日は地家の人達だけでなく、新興住宅の人達もけっこう事務所に訪れました。 新興住宅の人は自治会活動に積極的に参加する人の割合が少ないので、顔見知りは少ないだろうと思っていましたが、意外に顔見知りが多いので驚きました。 そしてその顔見知りの人達の中には、自治会活動に積極的に参加する人ももちろんいましたが、自治会にとっての要注意人物の割合がやたらと多いのでさらに驚きました。

「自治会にとっての要注意人物」とは、何かというと自治会役員に文句をつけるくせに、責任のある役目は決して引き受けようとせず、役目が当たりそうになると、あれこれ言い訳を並べ立てて逃げてばかりいて、どうしても役目を引き受けざるを得ない羽目になると、やたらと役目を振りかざして傍若無人に行動し、自治会にも周囲の住民にも迷惑をかけまくっているような人のことです。 自治会は住民の善意を前提にして組織した、強制力の無い自主的な互助組織ですから、そういった我がままで身勝手な人がいるとみんなが迷惑をします。 そしてそういった人は自ずと自治会役員と顔見知りになり、自治会役員の経験者の間で「要注意人物」として知れわたることになります。

Mさんの選挙スタッフだった人達に聞いたところ、その人達はMさんの選挙の時にもたいてい選挙事務所を訪れていて、正式な選挙スタッフにこそならないものの、気が向くと選挙運動を手伝っていたそうです。 そういった人達がなぜ選挙運動にかかわりたがるのか、はっきりとはわかりません。 しかし責任のある正式なスタッフにならずに、気が向いた時だけ選挙運動を手伝うというのが、いかにもその人達らしいという感じがします。

その日はモモタロウを数回行い、僕もチャンスを見つけてちょっとだけ同行しました。 モモタロウはタスキをかけた候補者を先頭にし、その後ろに、街頭演説用標旗を持った運動員と街頭演説用腕章を付けた運動員がゾロゾロとついて歩くので、まさにモモロウの行列のようです。 人間はやっぱりフェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションが基本なので、選挙運動の中でこのモモタロウが一番効果があると選挙プロはいいます。 そして実際にモモタロウをして相手の反応を見ていると、そのことがよく実感できます。 規模の大きい選挙になると、選挙地区が広くてモモタロウをするのは大変なので、自転車を使ってモモタロウをする候補者がたまにいます。 あれは体力が必要ですが、それだけの効果が十分あるそうです。

公選法では、道路や公園などの公共の場所で選挙運動をするのはかまいませんが、有権者の家の敷地内に入ったり、家の呼び鈴を押して、有権者を家の外に呼び出したりするのは禁じられています。 そこでモモタロウでは、候補者が挨拶に来たことをみんなで連呼しながら、チンドン屋のように道を練り歩きます。 そしてたまたま道を歩いていた人や、モモタロウの音を聞きつけて家の外に出てきた人を見つけると、候補者が近寄って行って握手をしたり、挨拶をしたりします。

しかし実際には、普通に連呼していても有権者が家の外まで出て来ることは少ないので、練り歩く地区に顔の利く運動員がモモタロウに参加し、知り合いの家の前でわざと大声を上げ、家人に外に出てきてもらったりします。 スタッフの中には公選法をあまり知らない人もいるため、時には知り合いの家の呼び鈴を鳴らしまくって、家人を外に呼び出すようなこともあるそうです。 でも幸いなことに、僕が同行した時はそんな無謀な人はいませんでした。

それからこの日は、僕もついに街宣車に乗りました。 街宣車の主役はもちろんウグイス嬢であり、選挙運動の華なので、女性スタッフには最も人気があります。 しかしウグイス嬢には経験が必要で、経験の有無がアナウンス内容に如実に現れます。 ウグイス嬢のコーチ役として応援に来てくれた市会議員の娘さんは、若い頃から長年ウグイス嬢をやっていただけあって、実に見事なアナウンスをします。 この人のコーチのお陰で、僕等の陣営のウグイス嬢はめきめきと腕を挙げ、選挙期間の終わり頃には、見違えるほど——聞き違えるほど?(^^;)——巧くなっていました。

街宣車で地区を回っていると、他の候補者の街宣車と鉢合わせしたり、すれ違ったりすることがよくあります。 そんな時、顔見知りのスタッフがいると、お互いににこやかに目礼したり、時にはベテランのウグイス嬢が、

「○○候補さんご苦労様です、お互いに頑張りましょう!」

などと励まし合ったりして、実に友好的な雰囲気を醸し出します。 そして相手の街宣車が離れていったとたんに、相手のウグイス嬢の腕前とスタッフの手腕を値踏みして、アレコレと手厳しい評論を加え、あそこには勝てるとか、あそこには負けないなどといって、街宣車の中で盛り上がるのです。

街宣車による選挙運動はモタロウほどの効果はありませんが、一般人にもよく知られた選挙運動なので、男のスタッフにも人気があります。 実際、街宣車に乗り、白い手袋をして道行く人達に手を振って挨拶していると、何だかスターになったような気分になって、やたらとハイになります。

一般人にとってはハタ迷惑極まりなく、運悪く道で街宣車なんぞに出くわしたら、大部分の人はできるだけ避けるようにするか、眉をひそめて見ないようにすると思います。 ところが街宣車に乗っていると、そんな人達はほとんど目に入らず、みんながこちらを注目し、好意的に見てくれているような気になってしまいます。 そして手を振って挨拶した相手が愛想笑いしてくれたり、手を振り返してくれたりすると有頂天になり、

「これでもう、あの人はこっちに投票してくれる、今日は××票かせいだぞ!p(^o^)」

などと、みんなで盛り上がってしまうのです。 これは街宣車に限らずモモタロウでも他の運動でも、とにかく選挙運動をしているスタッフにほぼ共通する心理のようです。 普通の人の目から見たらハタ迷惑で異様な行為が、やっている人達にとっては全く違った有意義な行為に思え、自分達が、何か選ばれた特別な集団のように思えてしまうという、オームとか白装束集団もかくありなんという集団陶酔心理なのでしょう。

実際、選挙対策本部設置、選挙事務所開き、出陣式、選挙運動と続く一連の運動は、宗教でいうところのイニシエイションとか、かつて流行した能力開発と同じような意味と目的を持っています。 つまり選挙運動というのはお祭りの一種であり、少々ハメをはずして騒いでも世間から大目に見てもらえるという、大義名分のある非日常的な活動なのです。 しかも選挙運動は、自分が運動した結果が勝ち負けとしてはっきり表れるため、スポーツの応援団やサポーターのような達成感も得られます。 このため昔から選挙運動に参加しているスタッフの中には、候補者が誰であろうとかまわずに選挙運動に参加するというスタッフがけっこういます。 そういった人達は、要するにお神輿を担いでお祭り騒ぎをするのが好きなのであり、お神輿の上に誰が乗っていようとほとんどかまわないのです。

うがった見方をすれば、自治会にとっての要注意人物の多くが選挙運動に参加する理由は、選挙運動がこういった性質を持っているからかもしれません。 自治会活動は、日常生活で起こる様々な問題を解決するための地味で地道な活動であり、選挙運動のようなお祭り騒ぎとは正反対の性質のものです。 仕事や商売をほったらかして、ご贔屓の野球チームの追っかけをしている応援団の人が、家族からはやたらと顰蹙を買っているようなもので、要注意人物と選挙好きが重なることが多いのは、ある意味で当然のことかもしれません。

地家の人達の噂話といい、自治会にとっての要注意人物の選挙運動への参加といい、この日は、肌合いの違う人達の中にいるという居心地の悪さと、ここは僕がいるべき場所ではないという違和感を強く感じました。 この居心地の悪さと違和感は、Mさんの後援会幹部の人達の考え方と、僕の考え方の根本的な違いが顕著になってきた頃から感じ始めていました。 そして選挙運動が始まり、色々な人が事務所に出入りするようになって、よりはっきりと感じるようになりました。

会社の仕事でも、こういった居心地の悪さと違和感を感じることがあります。 しかしそこは仕事と割り切り、業務用の人格を作って対応しているのであまり気になりません。 ところが後援会活動と選挙運動は純然たるボランティアであり、地元に対する義務感と、Rさんに対する義理だけで行っているので、正直いってかなり気になりました。 しかしここで本音をいって自己主張をしてみても、周囲の人達から反発され、結局のところRさんが困るだけなのは目に見えています。 そこで会社の仕事と同じように業務用の人格で対応し、当選という目的を達成するためにプロ意識に徹しようと、あらためて決心しました。