玄関小説とエッセイの部屋エッセイコーナー選挙四方山話

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次の日は電車の駅前に並んで電車通勤者に顔を売る、いわゆる「駅立ち」をやりました。 Rさんが新人候補ということもあり、謙虚でかつ意欲のあるところを見せようと、まだ暗い早朝5時22分の始発から駅前に並びました。 何しろめったやたらと寒い真冬の夜明け前に、ふきっさらしの駅前で長時間お辞儀を繰り返すという過酷な活動ですから、物好きな有志だけが参加するということになっていました。 ところが物好きな有志の数が予想以上に多く、一応の集合時間であった午前5時には5、6名のスタッフが集まり、6時頃には10名以上のスタッフが集まったのには、正直いって驚きました。

この日は平日で会社に出勤する予定だったので、僕はそのまま電車に乗って会社に直行できるように、スタッフジャンパーの下に背広を着込み、厚い下着を着てポケットカイロをいくつも用意していました。 しかしそれだけの防寒対策をしていたにもかかわらず、時間がたつうちに体の芯まで冷え切ってしまいました。 それでもこの日は晴れていたので、日の出後は徐々に暖かくなり、かなり楽になりました。 ベテランのスタッフの話では、現町会議員のMさんの選挙の時、駅立ちの日に大雪に降られたことがあって、

「あん時はどえりゃー雪だったもんで、ほんとおおじょうこいてまったわ!(~O~)」

だったそうです。

そのうちに、他の候補者陣営の選挙スタッフが駅立ちのために沢山集まってきて、駅前は陣取り合戦のようになってきました。 本来の駅立ちは、駅前で候補者が街頭演説をします。 しかしT町には駅が2つしかないので、朝の通勤時間帯は多くの候補者が同じ場所に集中します。 このため街頭演説をすることはほとんどなく、候補者と運動員が通勤客に「よろしくお願いします!」と挨拶するだけになります。 ただし、街頭運動は朝の8時から夜の8時までしかできません。 そのため朝の8時までは、揃いのスタッフジャンパーを着た異様な集団が駅前にずらりと並び、通勤客に向かって無言でお辞儀を繰り返すという、実に気味の悪い光景を現出します。

僕等の陣営は、参謀が「8時までは黙ってお辞儀だけしているように!」と厳しく注意しておいたので、どのスタッフもそれに従ってしました。 しかし他の陣営の中には、8時前でも平気で「○○をよろしくお願いします!」と叫んでいるところがありました。 まあ、名前入りの襷をかけた候補者と、揃いのスタッフジャンパーを着たスタッフが並んでお辞儀をしていれば、いくら「黙っているのだから選挙運動ではない!」といい張ってみたところで、ただの詭弁にすぎません。 したがって、「○○をよろしくお願いします!」と叫んでいる陣営のスタッフを非難してみても、所詮は「目くそ、鼻くそを笑う」の類です。 このため、あえてそれを咎める気はしませんでした。

また街頭で選挙運動をすることのできる運動員は、街頭演説用腕章をした人だけであり、それは最高11人と決められています。 しかし僕等の陣営を含めて、どの陣営も11人以上のスタッフが集まっていて、腕章の有無にかかわらず「お願いします」と挨拶をしていました。 これも、厳密にいえば公選法違反です。 でも、これくらいの違反は大目に見てもらえるだろうということで、どの陣営も気にする様子はありませんでした。

この日は5人の候補者陣営が駅立ちをやっていて、総勢で70〜80名の選挙スタッフが駅前に詰めかけました。 このため駅の入り口へと続く通路の周囲には、色とりどりのスタッフジャンパーを着て、必勝鉢巻を締めた異様な風体の人達がずらりと並び、通勤客にやたらとハイテンションな挨拶を繰り返していました。 これは、通勤客にとってはとんだ災難です。 このため迷惑そうに眉をひそめるか、運動員と目を合わせないようにして、そそくさと駅に入っていく人がほとんどでした。 ヘタに運動員と目を合わせ、運悪く顔見知りでもいようものなら、20年ぶりに再会した幼馴染のように歓迎され、候補者が飛びついてきて握手攻めにされたりするので、通勤客も大変です。

これまでは僕も普通の通勤客だったので、挨拶される側の気持ちがよくわかりました。 このため顔見知りの人が通っても、お互いに苦笑いしながら目礼する程度にしていました。 しかし他のスタッフは、例の集団陶酔心理のせいか、通勤客に迷惑をかけているという自覚がほとんどなく、顔見知りの人が通ると、待ってましたとばかりにハイテンションな挨拶をしていました。

この日は会社の出勤日だったので、僕は駅立ちを7時で切り上げて会社に出勤しました。 ただし普通に通勤したのでは面白くないので、行きがけの駄賃にサクラ役をすることにしました。 そこでスタッフジャンパーを脱いでコートに着替えると、一旦、駅から離れたところまで戻り、普通の通勤客のようなフリをして——実際にも普通の通勤客なんですが(^^;)——自分の陣営の候補者とスタッフに、「頑張ってください!」とわざとらしく声をかけながら駅に入っていきました。 Rさんの前を通る時、一瞬、声をかけながら握手しようかと思いましたが、さすがにそこまでクサイ演技はできませんでした。

駅に入ってプラットホームに出ると、そこから駅立ちの様子がよく見えます。 これまでの選挙では、揃いのスタッフジャンパーに必勝鉢巻という大時代的ないでたちの運動員達を、プラットホームから眉をひそめて眺めていました。 しかし今回、自分がその仲間になって大時代的ないでたちの運動員をやったおかげで、眉をひそめて運動員を眺めるようなことはなく、何となく「お互いに大変ですなぁ……」という、同志のような目で眺められるようになりました。 それでも生来の全体主義嫌いかつ横並び主義嫌いのせいで、まるで出征兵士を見送るようなハタ迷惑なお祭り騒ぎには、相変わらず馴染めませんでした。

この日の夜には初めての個人演説会が予定されていて、僕が司会進行役をすることになっていました。 そこで会社から帰ると、駅から選挙事務所に直行し、スタッフが用意してくれたおにぎりを食べながら、個人演説会会場に自動車で送ってもらいました。 演説会場は隣の地区の公民館で、20名程度しか入れないこじんまりとした建物です。 公民館といっても、それは地区の住民が寄付金を集めて建てたものであり、その地区の神社の敷地内に建てられています。 そして神社の集会場を兼ねていて、お祭りの時に行われる色々な行事の会場にもなります。 この土地では、こういった政教一致型公民館が多いのです。

隣の地区は現町会議員のMさんの地盤であり、今回はRさんを応援してくれることになっていました。 このため参加者は、隣の地区の後援会役員が集めた支持者ばかりであり、個人演説会というよりも、その地区の総決起大会のような性質のものです。

僕が会場に着いた時には、会場の準備がほとんど終わっていました。 会場には、選挙事務所と同じように、正面にRさんと町長と県会議員の垂れ幕が飾られ、部屋中に必勝祈願の書とRさんのポスターが張りまくられています。 公民館といっても法律上は私的な建物になるため、ポスターなどの掲示物の制限はありません。 何しろこの地区から立候補者が出た時には、その公民館を選挙事務所として利用するくらいですから、個人演説会場を選挙事務所のように飾りたてるくらいは可愛いものなのです。 ただしこの公民館も、他の公民館と同様に町から雀の涙のような補助金をもらっているため、半公的建物になります。 このため選挙事務所として利用することは、厳密には選挙違反になります。 しかしこの土地では、この程度のことは大目に見てもらっているようです。

やがて演説会の参加者が集まって来て、狭い会場は満員になりました。 そして開始予定時刻の午後7時30分になったので、僕は演説会を始めました。 ほとんどぶっつけ本番状態でしたが、来賓もいない内輪のこじんまりとした演説会なので、適当に楽しみながら司会進行役をやりました。 個人演説会の式次第は以下のとおりです。

(1) 開会の辞司会者
(2) 事務長挨拶事務長
(3) 後援会代表挨拶後援会会長(風邪のため後援会幹部役員が代行)
(4) 応援演説現町会議員、地元の名士(町の福寿会会長)
(5) 立候補者挨拶候補者
(6) 閉会の辞司会者

個人演説会の責任者は後援会会長のNさんであり、演説会で挨拶をすることになっていました。 ところがNさんは前日から風邪気味で、朝の駅立ちも早々に切り上げたものの、午後から熱を出してついにダウンしてしまいました。 このため幹部役員が挨拶を代行しました。

地元の名士はその地区の名家出身の人で、町の福寿会会長をしていたため、僕が区長会長をやっていた時に顔見知りになっていました。 その人は、地元の高校の名物校長だったこともあり、話が上手いことと長いことで有名でした。 このため演説会の前に、こっそりと、

「先生、なるべく短く、できれば10分程度でお願いしますよ!(^人^)」

と釘を刺しておきましたが、それでも20分ほどしゃべりました。 もちろん、それは最初から計算に入れて予定を立ててあったので、演説会はスケジュールどおりに進行しました。

Rさんの演説は、初めての個人演説会ということでいつも以上に熱が入っていて、誠意と情熱を感じさせる見事なものでした。 それは、貧しかった自分の生い立ちから始まり、若い頃から長年組合活動に参加していたこと、それを通して、自分のできる範囲で人のために何か役に立つことをしたいと思ったこと、軸足を地元に置き、庶民の立場に立った政治活動を住民と一緒になって行っていきたいこと、このような自分の信条に賛同し、自分に力を貸していただけるものなら、自分に一票を投じて欲しいということを、情熱を込めて正直かつ誠実に語ったものでした。

Rさんの演説は何度も聞きましたが、この時のものが一番印象的であり、感銘を受けました。 ところが驚いたことに、その日の幹部の反省会で、事務長のCさんと参謀のGさんから、Rさんの演説について、

「あまり正直に主義主張をせず、なるべく当たり障りのないことをいっておいた方が良い。 特に、この土地には組合活動に拒否反応を起こす人がいるから、自分から組合活動をやっていたなどといわない方が良い」

という文句がついたのです。 正月の色々な行事の時に、Rさんが行った立候補の挨拶に対しても、これと同じような内容のやっかみ半分の文句が他の地区の人から出て、CさんとGさんはそれをまともに受け止めていました。 今回は、個人演説会に参加した人達からそのような文句はまだ出ていなかったのですが、CさんとGさんは先回りしてそれを心配したようです。

またかという感じで、僕は腹が立つやらあきれるやらでした。 しかし正月のこともあるので、Rさんはその意見を素直に聞き、以後の演説は次第に当たり障りのないものになっていきました。 周囲の状況を考慮した結果、選挙ポスターのキャッチフレーズが月並みで陳腐なものになるのと同様に、候補者の演説もこうして月並みで陳腐なものになっていき、最終的には、自分の名前と「お願いします」の連呼だけになっていくということを、僕は苦々しい思いと共に理解しました。