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○心霊主義(スピリチュアリズム)

1847年の暮れ、アメリカのニューヨーク郊外のハイズビルという寒村に、フォックスという一家が引っ越してきました。 フォックス家には3人の娘がいて、長女はレアといい、既に結婚してニューヨークに住んでおり、次女のマーガレットと末娘のケティが両親と一緒に暮らしていました。

一家が新しい家に住むようになってから、その家では奇妙な事件が起こり始めました。 夜になると、まるで木でもたたいているような虚ろな物音がするのです。 そのうちに2人の姉妹が「自分達が声をかけると、虚ろな音が返事をする!」と言い出しました。 驚いた両親が娘達に実演させますと、確かに娘達の呼びかけに対して返事をするように虚ろな音が響き、色々な質問に対して「はい(音ひとつ)」と「いいえ(音ふたつ)」で答えたのです。 信心深い両親は、この家は幽霊にたたられていて、娘達はその幽霊と交信できるに違いないと考えました。

やがて、その姉妹には死者の霊と交信する能力があるという噂が村中に広がります。 そのうちにニューヨークにいた長女レアが、妹達の能力を金儲けに利用することを思いつきました。 そして妹達をニューヨークに呼び寄せ、見物客を集めて、暗闇の中で霊との交信会を行ったのです。 彼女達の降霊会は大評判となり、フォックス姉妹のマネをする商売人達が続々と現れ、降霊会はものすごい勢いでアメリカ中に広がり始めます。 そして降霊現象を死者の霊が存在する証拠と考え、虚ろな音を「ラップ(鼓音)現象」と名付けて、まことしやかな学説を展開する科学者達も現れます。

これが19世紀の後半に世界的なブームを巻き起こした「降霊会」と、「心霊主義(または心霊術)」のそもそもの始まりです。 心霊主義は本家本元のアメリカと、こういったことが大好きなイギリスで最も流行し、1882年にはイギリス心霊研究協会(The British Society for Psychical Research、略称SPR)が設立され、ベルグソン、クルックス、ドリーシュなどといった、当時の一流科学者達が会長を歴任します。

もちろん、フォックス姉妹の降霊会を疑惑の目で見た人々も当時から存在しました。 1851年にはバッファロー薬科大学がフォックス姉妹の調査に乗り出し、ラップ現象の正体は、2人の姉妹が足の関節を鳴らすことによって作り出したイカサマだと報告します。 しかし、超常現象を信ずる人々はその程度のことではまったくめげず、その報告を信用しないばかりか、かえって小さな子供にすぎないフォックス姉妹を陥れる陰謀だと吹聴し、ブームはますます広がる一方でした。

その後、降霊会を始めてから40年後の1888年、フォックス姉妹の姉マーガレットはついに良心の呵責に耐えかね、自分の犯した罪の懺悔を始めます。 まず最初に彼女は、ニューヨークの新聞に「自分達姉妹がやってきたことは全てイカサマであり、ラップ現象は、バッファロー薬科大学の調査結果どおり、足の関節を鳴らすことによって起こしていた」との告白文を投稿します。 さらに彼女は多くの聴衆を集めて、自らのイカサマを暴露するという、奇妙な講演会を開きます。 彼女の告白によれば、最初は単なる子供のイタズラで始めたものが、あれよあれよという間に大事になり、一家の金儲けもからんで、止めるに止められなくなっていたとのことでした。

しかし、大衆心理というものは実に不思議なもので、マーガレットの告白の後でも心霊現象を信ずる人はいっこうに減らず、驚いたことに、彼女の告白さえ一時的な気の迷いだと考えて、彼女達を信じる人々が大勢いたのです。

こうして、多愛のない子供のイタズラで始まった心霊主義は、フォックス姉妹が開発したスタイルを継承しつつ、多くの商売上手な人達によってより洗練されながら、その後も廃れることなく存続し、20世紀の現代でも相変わらず世間を騒がせ続けています。

○人知論(anthroposophy)

20世紀の前半にドイツのルドルフ・シュタイナーが唱えた理論で、精神修養によって霊界を認識できるというものです。 人知論者は地球を本当の生物とみなし、土は、比喩的な意味ではなく、文字どおり生きていて、1日に2回呼吸をしていると考えます。 彼等は「エーテル力」を呼吸し、「霊体」を強めたある種の薬を土に加えることによって、それをより「活力的」にすることができると信じています。 その神秘的な薬は極度に濃度を薄めても──事実上、成分物質が残っていないくらい薄めてもその効果を維持するため、通常の物質的な化学反応に基づくものではない、と彼等は主張しています。

シュタイナーの協力者としては、エーレンフリート・プファイファー博士が有名です。 彼はミュンヘンで生まれ、スイスのドルナハにある人知論者の研究センターである「生科学研究所」の所長と、オランダのロヴェレンダールにある人知論者の実験農園の園長を務めていました。 しかし1940年にナチスがオランダを占領すると、家族と共にアメリカに逃れ、ペンシルバニア州にモデル農場を造ります。

ここで彼は、彼自身最も重大な発明と考える「驚異の細菌混合物」を発明します。 それは各種の細菌を組み合わせた特殊な混合物(正確な処方は高度の秘密とされています)で、普通の台所のゴミ1トンにつき、これを大さじ1杯加えるだけで、1週間もすればゴミは臭いの無い優良な有機肥料に変わるということです。 さらに、その有機肥料で育てた野菜は普通の肥料で育てたものよりも25%も重量が多く、ビタミンAも3倍多く含まれているし、穀物の蛋白質も増えると主張しています。 プファイファー博士によれば、この「驚異の細菌混合物」は砂地を豊かな農地に変えることができるため、人類の未来にとって革命的な発明だということです。

しかし「驚異の細菌混合物」によらなくても、普通の台所のゴミを土に埋めておくだけで、土中の細菌によって優良な有機肥料に変わることは、農学分野では周知の事実です。 またプファイファー博士達の行った実験の詳細が不確かなため、人知論者以外の農学者は重量やビタミンAや蛋白質が大幅に増える実験の追試に成功していませんし、「驚異の細菌混合物」によって砂地が豊かな農地に変わったという事実もありません。

それにもかかわらず、他の疑似科学と同様、プファイファー博士の「驚異の細菌混合物」と同類の物は思い出したように”発明”され続け、現代の日本でも比嘉照夫博士の「驚異のEM農法」などに脈々と受け継がれています。